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小山芳姫の墓(栃木県栃木市) [その他の史跡巡り]

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 小山芳姫は、下野の名族小山義政の正室である。義政は、宇都宮基綱と下野守護職を巡って長年対立しており、1380年に遂に宇都宮領に軍勢を率いて進軍し、裳原で両軍は激突した。この戦いで宇都宮基綱は討死した。義政のこの行為を、勝手に戦を始めたとして咎めた2代鎌倉公方足利氏満は、関東の諸武家に催促状を発し、大軍で小山氏討伐を開始した。所謂「小山義政の乱」で、その経緯は鷲城の項に記載する。芳姫は、侍女一人を連れて最後の拠点粕尾城に立て籠もった夫義政の元に向かう途中、大事に持っていた乾飯の袋を宝の袋と間違われ、案内役の者に山中で殺されたと伝えられる。

 小山芳姫の墓は、谷倉山から西に伸びる尾根の南の谷にある。芳姫が殺された場所と言われ、標高340m程の場所で、麓から山道(寒沢林道)を30分程かけて登った先にある。5~6年ほど前に台風だか豪雨だかで山道が崩れて登れなくなったと聞いていたが、Google Mapの口コミでここ1~2年で登っている人がいたので、今回意を決して登った。山道は途中に何回も案内板が出ているので、あまり迷わずに登ることができる。ただ、途中道が崩れてる場所が数ヶ所あり、荒れている所もあるが、さほど困難ではない。墓は刻文によれば享保8年(1723年)に建てられたもので、脇には墓塔上部の残欠2基と小祠もある。こんな山奥の高所なのに、結構人が来ているらしく、真新しい花とお供物が飾られていた。麓には小山芳姫を祀った御堂があり、そこには以前に訪れているが、山中のお墓には7年越しでようやく登ることができ感慨深い。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.487307/139.632121/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏

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  • 作者: 田辺 久子
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 単行本


タグ:墓所
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