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成沢城 その1(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

←本丸広場
 上山城から山形市に入ると、成沢の地に全国でも珍しい凝灰岩製の古い重厚な石鳥居がある。国の重要文化財になっているのだが、この石鳥居の裏の山にあるのが成沢城である。
 成沢城は、山形城にあった最上氏が領国支配を固める為に庶子を各地に分封した中で、斯波兼頼の嫡男直家の六男兼義が1381年に平城の泉出城を築いて居城としたが、1383年に成沢城を築いて居城を移した。以後、最上領の南方を固める拠点として重視された。戦国末期の最上義光の時代、1578年に上山城主上山満兼は伊達輝宗に通じて山形へ侵攻、松原柏木山で戦ったが、この時の成沢城主は成沢道忠で、成沢城は山形防衛の最前線となった。この成沢道忠の子が義光の重臣氏家尾張守守棟の養子に入って氏家尾張守光氏を名乗った。最後は最上氏改易と共に廃城となった。

 夏場なので山城敬遠ということで、元々今回は行く予定にしていなかったのだが、偵察がてら裏の道を車で登っていくと、駐車場などが整備されているので、ちょっと寄ってみることにした。登城道はきれいに整備されていて、歩くのに困ることはないが、整備されているのはあくまで道の部分だけ。各曲輪は完全に草茫々で薮化していて、その形もほとんど把握できない。どうもまだ公園化し始めたばかりのようで、ほとんど整備に着手されていない感じである。ただ、削平された曲輪の存在だけはおぼろげにわかり、それを見るとかなりの規模の城であったことが伺える。何しろ本丸から二の丸の間は数百mも離れていて、その間にも削平地が数珠繋ぎにあるようなので、冬場にきちんと見て回ると、かなりの遺構が見れそうな気配はする。しかし如何せん今は盛夏なので、生い茂る草薮のため、堀切や土塁などの存在は全く見ることができなかった。本丸だけはきれいに整備されていて、広場のようになっている。
 また冬場に来た方がよさそうである。(後日の訪城記あり)。また今後の城跡整備にも期待したい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(暫定)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=38.203183,140.321953&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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