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多功城(栃木県上三川町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_8986.JPG←西の丸と思われる曲輪と外周の土塁
(2006年2月訪城)
 多功城は、宇都宮頼綱の四男、多功石見守宗朝によって築かれた。児山城上三川城と共に宇都宮領の南方を防御する重要拠点であった。多功氏は、代々主家宇都宮氏に良く仕えて勇名を馳せた一族で、裳原の合戦五月女坂合戦など、宇都宮氏の主要な戦いにはほとんど参戦し、功を挙げている。上杉謙信や北条氏政の軍勢ともこの城で渡り合い撃退したという。
 城跡は現在、ゴルフ練習場になってしまったため、主郭部分などの主要部はほとんど湮滅しているが、北側の二重土塁跡などがわずかに残っている。しかし、実はそれ以上に極めて良好な遺構が西側に残っているのに遭遇した。事前にネットで調査した時には記載がなかったが、南西部に横矢の掛かった曲輪がほぼ丸ごと残っていたのである。竹薮がひどく、歩くのが大変だが、曲輪の全周に土塁が残り、外側の一部には明確な堀跡も残っていた。古絵図を見ると、曲輪の形状からして、どうも西の丸に相当するようである。それほど広い曲輪ではないが、事前調査では何もなさそうだったので、曲輪丸ごと残っているのには驚いた。ただ、どうも個人の所有地のようだったので、行く方は迷惑掛けない様気をつけてください。(私は知らずに迷い込んでしまったのだが・・・)
 なお、ゴルフ場の入り口には石碑が立っているほか、城跡南側にある見性寺には多功一族の墓が残っている。
西の丸横の堀跡→IMG_8981.JPG
IMG_8992.JPG←横矢の掛かった土塁跡

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.431452/139.874432/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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