SSブログ

新田の庄 その1(群馬県太田市) [古城めぐり(群馬)]

 新田の庄。そこはかつて鎌倉を果敢に攻め落とし、その後足利尊氏と対立して東西に戦い続け、ついには故郷から遠く離れた北陸の地で命を落とした悲劇の英雄、新田義貞の本拠地である。
 新田氏は、頼朝の系統が絶えた後、本来源氏の嫡流にあるはずの家柄であったが、頼朝挙兵の際に平家に組したため、以来鎌倉幕府から冷遇され、弟分の足利氏の風下に置かれ続けた。その鬱屈を晴らすかのように1333年、鎌倉攻めを決行して見事にこれを攻め落とし、一躍時代の寵児となった。南北朝の動乱において終始南朝側に立って奮戦したが、総帥の義貞をはじめ、徐々にその戦力をすり潰されていき、結局新田宗家は滅亡してしまった。その後、新田・足利両家の流れを汲む岩松氏がこの新田の荘を押さえ、新田の姓を名乗った。岩松氏は、太田市の北に金山城を構え本拠とした。更に時代が下り戦国時代になると、岩松氏の家老、横瀬氏に実権を奪われ、ついに下克上で横瀬氏が金山城を支配することとなった。新田氏由来の由緒ある姓、由良氏に改称した横瀬氏は、上杉氏と小田原北条氏の2大勢力に挟まれながらも巧みに生き延び、最終的に豊臣秀吉の小田原仕置き、徳川家康の関が原合戦の後も生き延び、幕末までその家名を残した。
 また徳川氏は、新田氏の一流、世良田(得川)氏の裔を称したので、新田の荘は江戸時代を通じてある程度の保護を受け続け、そのせいか新田氏関係の史跡が多く残っている。
 しかし、館跡等の明確な遺構が残っているものは数少ない。義貞の館跡と伝わる反町館と江田館ぐらいのものである。そのほかは、義貞の舎弟脇屋義助の館跡と言われる脇屋館を始め、大館館、台源氏館、岩松館など全て、宅地化と耕作地化で遺構が壊滅している。特に脇屋館などは、戦後まで土塁が明瞭に残っていたそうなので、当局が保護することなく破壊されてしまったことが非常に惜しまれる。
 以下に、新田の庄の史跡について記す。

<寺尾城>
 新田氏の祖、新田義重が始めて新田の庄に入封して以来、3代の居館となったと伝えられている城である。現在は県道に面したレストランになっていて、石碑が建てられているほかは往時をしのばせる遺構は皆無である。
DSC08109.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.329457/139.334729/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<脇屋館>
 新田義貞の弟、脇屋義助の館跡である。脇屋義助は兄義貞に従って、鎌倉攻めをはじめ、伊豆竹之下の戦い、京都争奪戦、湊川の戦い、越前金ヶ崎城の攻防、越前府中・足羽の戦いと戦い続けた勇将である。越前では、三峯城を拠点に義貞の後方支援をしていたが、義貞が戦死し三峯城も攻略されると、美濃を経由して吉野に戻り、更に転戦して伊予で陣没した。館跡は前述の通り、遺構は湮滅しており石碑しかない。ここから北西数百mのところにある正法寺は、脇屋義助ゆかりの寺で、境内には銅像のほかに、義助の遺髪塚が残っている。
脇屋館跡の石碑→
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.303454/139.337947/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<反町館>
 新田義貞が1333年に鎌倉攻めに挙兵した際の居館跡と伝えられている。現在は反町薬師の境内となっているが、周囲に土塁や水掘がよく残っている。単郭の居館跡かと思ったが、ここから北西のやや離れたところにも堀跡らしき地形が見られたので、複郭の平城であったのかもしれない。主は代わったが、南北朝以降も戦国期まで使われていたらしいので、その頃拡張されたものかもしれない。また、この館跡から南西の方向に、義貞が鎌倉の方向に放った矢が刺さったという「矢止の松」が残っている。
←反町館跡
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.300306/139.311211/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<伝新田氏累代の墓>
 円福寺境内に、新田氏累代の墓と伝わる20基ほどの墓石がある。円福寺は、新田4代政義の開基と伝えられている由緒のある寺である。なお、この地域は由良郷と呼ばれ、新田宗家の所領であった。
新田一族の墓→
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.297314/139.333892/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<台源氏館>
 円福寺の東400mほどのところにある。新田氏4代の政義が居館を築き、新田義貞、脇屋義助の生誕の地と伝えられている。遺構は全くなく、石碑があるのみである。
DSC08150.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.296623/139.338677/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<江田館>
南側の堀と土塁→
 江田館は、新田の一族江田氏の居館跡である。江田行義は義貞の鎌倉攻めの際、極楽寺坂を攻める大将として活躍し、その後も義貞に従って転戦した。遺構は非常に良く残っていて、主郭の横矢の掛かった土塁と堀がほぼ完存しており、堀に掛かる土橋も明瞭である。そのほかにも二の丸や、黒沢、毛呂、柿沼の各屋敷跡が良く残っていて、新田の庄史跡の中ではダントツのNo.1である。なお、県道を挟んで向かいの家の表札が「江田」さんだったのだが、御子孫であろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.297885/139.283681/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<堀口館>
 堀口氏は新田の一族で、堀口貞満が有名である。新田麾下の猛将で、太平記だけでなく梅松論にもその名が見える。特に有名なのは、湊川の合戦で破れた後、叡山に遷座して足利軍に抗戦していた後醍醐天皇が、独断で足利尊氏との和睦を受諾して叡山から下りようとした際に、主君義貞を見捨てるつもりかと食って掛かった一幕である。
 さて館跡であるが、遺構は湮滅しており何も見出すことは出来ない。早川沿いの民家の脇に標柱と解説板があるだけである。
DSC08345.JPG←民家横の標柱と解説板
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.249361/139.330695/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<岩松館>
 青蓮寺はもともと源義国の居館があったとされ、後に子孫の岩松氏に伝えられて岩松氏の館跡と言われている。岩松氏は、足利・新田両家の流れを汲む珍しい一族で、太平記では岩松経家が足利尊氏と新田義貞の仲を取り持って、倒幕に踏み切らせたと伝えられている。倒幕が成って建武の新政が始まると、最初に恩賞が与えられたのはこの岩松経家で、飛騨守に任命された。その後は一貫して足利方として活動した。1335年の中先代の乱で北条時行を擁した北条遺臣が鎌倉目指して進撃した際に、女影が原で渋川義季と共にこれを迎え撃ったが、激戦のうえ破れて戦死した。後に岩松氏は新田の正嫡を称して新田氏を名乗ったが、戦国期の下克上で重臣の横瀬氏(由良氏)に取って代わられた。
 遺構は全く湮滅しているが、寺の近くには源義国や岩松尚純夫妻の墓がある。
DSC08323.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.261369/139.335909/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<船田館>
 新田義貞の執事、船田善昌の館跡と伝わる。現在は民家になっており、門前に標柱のみ存する。
 DSC08638.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.265003/139.281042/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<綿打館>
 現在の大慶寺がその跡地である。綿打氏は新田一族で、境内には綿打氏の墓がある。遺構はあるようなないような・・・?
DSC08205.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.314434/139.279561/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<新田義興の墓>
 威光寺は新田義興の開基と伝えられている。新田義興は、義貞の嫡男義顕が越前金ヶ崎で自刃した後、弟義宗、従弟脇屋義治と共に、新田一族を率いて足利方に抵抗したが、後に足利方におびき出され、多摩川の矢口渡で謀殺された。威光寺にはこの義興の墓といわれる宝篋印塔がある。
DSC08161.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.292057/139.343076/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<矢止の松>
 新田義貞が挙兵に当たって、事の吉凶を占うため、鎌倉に向けて矢を放った。その矢が当たった松と伝えられている。反町館から南西に400~500mもの距離があるので、ただの伝承であろう。
DSC08268.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.296675/139.305031/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<冠掛けの松>
 新田義貞が鎌倉攻めの折、この松に冠を掛けて休憩したと伝えられている。大通寺境内にある。新田義貞は疾風のような速さで上野国府を襲撃したはずなので進軍の方向が異なる。これもただの伝承であろう。
DSC08265.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.285104/139.305847/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<駒つなぎの松>
 新田義貞は鎌倉攻めの折、利根川渡河を前にこの松に自分の馬をつないで休息したという。これも冠掛けの松に同じ。
DSC08357.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.257649/139.316447/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<新田触れ不動尊>
 新田義貞挙兵の折、遠い越後の新田一族に一夜にして挙兵の知らせを触れ回った不動尊として有名である。明王院のことである。
DSC08619.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.259155/139.303615/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<二体地蔵塚>
 新田義貞のもとに来た鎌倉の徴税使二人の傍若無人の行為が義貞挙兵の引き金となった。義貞は挙兵に当たり、まずこの二人の徴税使を血祭りに上げてさらし首にした。その跡地である。
DSC08637.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.264760/139.285784/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

<勾当内侍の墓>
 早川沿いの花見塚公園に、勾当内侍の墓と伝えられている墓石がある。もちろん単なる伝承に過ぎない。勾当内侍は、足利尊氏追討で功を挙げて左中将の地位に昇った新田義貞が後醍醐天皇から賜ったと言われる絶世の美女で、その物語は太平記に名高い。しかし、実際にそのような女性がいたかどうか、分かってはいない。その最期も、近江堅田で死んだとも、東国まで来て義貞の菩提を弔ったとも言われ、全く分かっていない。あくまで太平記のロマンの中の話である。
DSC08366.JPG
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.250365/139.314322/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


 以上が今回回った史跡である。ちなみに館跡などには石碑が建てられているが、のきなみ昭和12~3年ごろの建立である。ちょうど日本全体が大きく右傾化していった時代に、皇国史観が生み出した産物であろう。台源氏館の「新田義貞卿誕生地之碑」などは、海軍大将の加藤寛治の揮毫である。軍縮条約で紛糾したときに艦隊派の巨頭として、海軍を大きく歪めた張本の一人である。このあたりはちょっと心情的に微妙なものがある。

 さて、この日、私は新田の荘から義貞の鎌倉攻めの進軍路を追って、挙兵の地の生品明神から一路南下した。挙兵した義貞の軍は、わずか150騎であったと伝えられている。この時のことを吉川英治は私本太平記の中でこう書いている。
「たとえ成算はあったにしろ、一族悉皆でもわずか150騎という小勢で起ったその勇気は驚目にあたいする。それも四隣すべて北条勢力圏とみられていた関東平野のまん中から起ったのだ。」と。
 なお、私は以前転勤で金沢にいたことがあり、その際福井の新田塚などに行ったことがある。そこは、義貞が戦死した灯明寺畷の跡である。また義貞が葬られた丸岡の称念寺の義貞墓所も訪れた。そのことを思い出し、ここから起った義貞が遥かに遠い福井で命を落としたことを思うと、胸の内が熱くなるようだった。
新田義貞挙兵の地、生品明神→


※後日の続編もありますので、こちらこちらをご参照下さい。


新田一族の中世: 「武家の棟梁」への道 (歴史文化ライブラリー)

新田一族の中世: 「武家の棟梁」への道 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 田中 大喜
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2015/08/20
  • メディア: 単行本


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント