SSブログ

稲積城(栃木県那須烏山市) [古城めぐり(栃木)]

DSC03820.JPG←主郭周囲の土塁。
                          太鼓楼跡と伝わる。
 稲積城は、那須氏が築いた最も古い時代の城の一つである。1109年の那須氏2代資道の築城とも、1165年の6代宗資の築城とも言われる。のち室町時代の1414年に上那須、下那須の分裂の際、沢村(那須)資重が一時この城に拠った。資重が烏山城に移ると、平井館の本庄広泰が稲積城に入り、以後那須氏が豊臣秀吉に改易されるまで、本庄氏の居城となった。

 城は、烏山城から南南東に5kmほどの那珂川沿いの台地上に築かれた平山城である。平山城とは言っても、周囲からの比高は10数mほどしかなく、ほとんど要害性を感じさせない。城域は、南東から北西に広く長く伸びていて、中城、外城などの字名が残っている。現在ではほとんどの遺構は湮滅しているが、外城の東端に残る長い一直線上の土塁や、城域内にところどころに残る土塁が、ここが往時城であったことを物語っている。また、主郭跡とされる南東端の曲輪も、畑となってはいるが周囲に土塁の遺構が残っている。堀はほとんど現存していないが、地元の方の話では、外城の水田の西よりに堀跡が残っていたそうであるが、埋めて水田にしてしまったとのことである。城の東には山々がそびえており、立地条件としてはあまり良いとは思えない。主に那珂川を使った水上交易の確保を狙った城だったのだろうか?
外城東側の土塁。→DSC03785.JPG
     中央は稲積神社参道。
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.622158/140.168917/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 1