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稲倉城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC08590.JPG←大空堀
 稲倉(しなぐら)城は信濃守護小笠原氏の一族で浅間郷の領主であった赤沢氏の本城である。赤沢氏は、1550年に武田信玄が府中に侵攻すると、小笠原氏に奪われた早落城を攻め落として武田方に付いた。その後、武田家臣団に組み込まれていたが、武田氏が滅亡し徳川家康の後援で小笠原貞慶が府中に返り咲くと、その支配下に入った。しかし翌1583年に赤沢氏は塔原氏や古厩氏との謀反が発覚して貞慶から切腹を命じられ、城もそのまま廃城となった。
 稲倉城は、稲倉集落を見下ろす比高230m程の山上に築かれている。大きく本郭、二の郭、三の郭に分かれているが、二の郭の西側斜面には段々状に4~5段の段曲輪が展開するなど、10以上の曲輪がある。林道脇から伸びる登山道を登っていくと本郭に至るが、その手前で二の郭の西に広がる段曲輪群が目に入ってきて、なかなか壮観な眺めである。これらの曲輪はそれぞれが小屋などを十分建てられるだけの広さを持っている。主郭に登りつくと、目の前には二の郭との間を分断する大きな空堀が目の前に現れて、目を見張らせるものがある。この空堀にはかなり崩れているが石積みの遺構が残っている。主郭は北に向かって4段ほどの段差に分かれていて、最高所の物見台の裏は大堀切で北に延びる尾根筋を分断している。この堀切は伊深城と同じ二重堀切となっていて、縄張りの共通性を感じさせる。二の郭は最高所を中心に複数の段曲輪群で構成され、城内でもっとも規模が大きい。そこから数本の堀切を越えて南に登っていくと三の郭に至るが、曲輪としてはかなり小さく、南の尾根筋を監視する物見台であったのだろう。その先にも何段かの小さな段曲輪が続いている。また登山道の通っている谷間には、かつての耕作地の名残であろうか、何段もの石垣が残っているが、石積みで囲まれた井戸跡が2箇所残っていて、かつての水の手曲輪だった可能性もある。
 小なりとはいえ地方領主赤沢氏の本城だけあって、居住性も有したなかなか大きな山城である。なお麓には赤沢氏居館跡と伝えられる平場が残っている。
二の郭の段曲輪群→DSC08631.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.295519/138.000802/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

ここはU字型ですね。でも大きそう。馬が通れるくらいの通路っぽいですね。
by ノリパ (2009-02-12 18:49) 

アテンザ23Z

登りきったところで目の前にデカイ横堀が出現するので、
結構感動ものです。
やっぱり長野の城はすごいです。
by アテンザ23Z (2009-02-12 20:32) 

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