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大橋城(山形県南陽市) [古城めぐり(山形)]

DSC06946.JPG←堀跡の水路
 大橋城は、伊達氏中興の祖、9代儀山公政宗が築いた平城で、1398年に伊達家家臣湯目資綱の居城となった。1591年に葛西大崎一揆を鎮圧した後、伊達政宗が出羽・会津の本領を没収される一方、葛西・大崎の旧領13郡を与えられると、湯目民部景康は佐沼城に移封となった。湯目氏は後に津田姓を称したと言う。湯目氏と言えば、上杉景勝が最上義光を攻めた慶長出羽合戦の際、伯父に当たる義光から救援を求められた伊達政宗の命により長谷堂合戦に来援し、遅沢川付近で上杉勢と奮戦して討死した湯目加賀守が知られているが、おそらく同族なのであろう。
 大橋城は、最上川の支流屋代川の南岸に築かれた城で、天然の河川や地形を巧みに利用していたと言う。かつては本丸は正方形に近い形をしていて水堀で囲まれていたようであるが、現在は宅地や耕地となって、遺構は完全に湮滅している。わずかに残る水路が堀の名残を留めているに過ぎない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.023484/140.154884/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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