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深谷城(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC10299.JPG←管領稲荷の土塁跡
 深谷城は、深谷上杉氏の居城である。深谷上杉氏は関東管領山内上杉氏の一族で、足利尊氏の嫡男義詮、次男基氏と2代の鎌倉府首長に仕えた初代関東管領上杉憲顕の実子憲英が、庁鼻和(こばなわ)城に入って庁鼻和上杉氏を名乗り、曾孫の房憲より深谷上杉氏と称した。1456年に上杉房憲が古河公方の侵攻に対して深谷城を築いたと言われている。小田原北条氏が関東の覇権を握ると、深谷上杉氏は北条氏に服し、1590年の小田原の役で開城するまで、134年間上杉氏の居城であった。徳川家康が関東に入封すると、松平氏など徳川一族・譜代家臣の城となったが、1634年に廃城となった。
 深谷城は、武蔵でよく見られる低湿地帯の中に浮島の様に曲輪が連なった典型的な平城で、本郭を中心に曲輪が取り巻いた構造をしており、その形状から木瓜(ぼけ)城とも呼ばれた。現在では市街化によってほとんどの遺構が湮滅し、旧状を知ることはほとんどできない。本郭跡には深谷小学校があり、その東に城址公園があるが、正直言って名ばかりの公園で遺構は全くない。公園の入口には石垣が組まれているが、遺構とは全く関係なく現代に入って造られたものであり、しかも虎口位置に築かれたものでもないらしい。しかしそんな中でも、富士浅間神社脇に外堀跡が残る他、高台院西側と管領稲荷のある場所に土塁が残っている。各地に標柱や解説板を整備するなど、深谷市は史跡保護に熱心なので、今後もこれらの遺構は残り続けることだろう。
富士浅間神社脇の外堀跡→DSC10294.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.199092/139.286213/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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