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葛西城(東京都葛飾区) [古城めぐり(東京)]

DSC00011.JPG←堀跡の道路
 葛西城は、中川西岸の微高地に築かれた平城である。元は秩父平氏の一流、葛西氏の勢力下であったようだが、室町中期に入ると関東管領山内上杉氏の目代大石氏の勢力がこの地を覆ったようである。この頃までの葛西城の実態は明らかではないが、ようやく明らかになるのが、関東に大きな地歩を築きつつあった小田原の北条氏綱が1538年にこの城を陥とした時である。以後、小田原北条氏の支城となり、小弓公方足利義明や安房里見氏に対する備えとして整備され、2度にわたる国府台合戦では、葛西城は重要な拠点として表舞台に登場した。また一時期は、北条氏の勢力に服し傀儡化した古河公方足利義氏(実は北条氏康の甥に当たる)が葛西城を御所としたこともあった。北条氏が滅亡し、江戸に徳川幕府が開かれると、葛西城跡地には青戸御殿が建てられ、家光までの3代の将軍によって鷹狩りの際に使用された。
 葛西城は、現在そのど真ん中を環七がぶち抜いており、それ以外は完全に市街化され、かつての姿は見る影もない。わずかに葛西城址公園と御殿山公園が作られ、石碑と解説板があるのみである。しかし、環七建設前の発掘調査で堀の遺構が確認され、それに拠れば周囲の道路はある程度、堀跡をトレースしたものになっているようだ。とは言っても、現在では堀らしい起伏もなく、ただの生活道路でしかない。
 日本城郭大系では、現代日本を次のように厳しく指弾している。
「たびかさなる落城にもかかわらず、後世に多くの資料を伝えてくれた葛西城の本当の敵は、貴重な遺産を破壊して省みない現代人の荒んだ心の中にあるようである。」
近くの公園にあった解説板→DSC00010.JPG
       こういうのがあるとちょっと嬉しい

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.755463/139.854798/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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