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蕨城(埼玉県蕨市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC01208.JPG←御殿掘跡
 蕨城は、足利一門の渋川氏の居城である。渋川氏は、足利一門の中でも足利宗家と姻戚の間柄にあった。足利尊氏の弟直義の妻は渋川義季の妹で、義季は中先代の乱の時に女影ヶ原で岩松経家と共に北条時行の軍と戦ったが、敗れて自刃した。また2代将軍義詮の正妻幸子は渋川義季の娘で、管領の斯波氏と結んで幕府内に隠然たる勢力を持っていたらしく、九州探題に甥の若い渋川義行が任命されたのは、幸子の意向によるところが大きいと考えられている。しかし後の九州探題今川了俊と異なり、九州探題の渋川氏は大した事績を残すことはできなかった。蕨城は、この渋川義行が築城したものと伝わっている。1457年に将軍足利義政は、古河公方と関東管領上杉氏との間で騒乱の絶えない関東を押える為、関東探題として渋川義鏡を派遣し、義鏡は蕨城に入って歴代の居城とした。しかし既に東国においては室町幕府の勢威は及ぶべくもなく、渋川氏の事跡もほとんど伝わっていない。後に小田原北条氏が台頭すると渋川氏もその勢力下に入り、扇谷上杉朝興に攻め落とされたこともあった。北条氏と里見氏との間で生起した1567年の三船山の合戦では、渋川氏は北条方救援の為出陣して討死にした。徳川家康が関東に入部すると、渋川氏はこの地を去り、蕨城には御殿が築かれたという。
 蕨城は現在、蕨市の街中に城址公園として整備されている。遺構は街中の城らしくほとんど湮滅しており、その縄張を推し量ることはできない。わずかに公園の中に土塁と御殿掘と呼ばれる水堀跡が残るだけであるが、これは家康入部後の遺構と思われる。都市部の真ん中なので、城址公園として残っているだけでも良しとすべきであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.826478/139.681678/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城
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fuzzy

都の集権政治は公方・関東管領を配し東国の脅威を抑えようとしていたが、支配力弱く群雄の巣窟になっていましたね、室町幕府の公家化が弱化を招いたのでしょう(平家の滅亡を学んでいないですね)、平家や幕府を倒したのは東国の武士なのです。
by fuzzy (2009-11-26 12:35) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
室町幕府は、その創業の経緯からも、元々有力守護大名による連合政権的な色彩が強かったのです。そしてその目は常に京を向いており、反対に東国はその当初から独立王国的な立場になりやすく、中央からの統制は行き届いていませんでした。しかも室町幕府では鎌倉幕府の頃と異なり、有力武家の勢力が強大化していたので、相対的に室町幕府の勢威は減じざるを得なかったのでしょう。
by アテンザ23Z (2009-11-26 17:56) 

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