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大塚城(山形県川西町) [古城めぐり(山形)]

DSC02841.JPG←高徳寺に残る土塁と堀
 大塚城は最上川左岸に築かれた平城である。藤原道隆の9世の子孫大塚因幡守親行が大塚城に居住したことが、伊達世臣家譜に記されていると言う。14代左衛門佐宗頼は、1591年に伊達家が岩出山に移封になるとこれに従い、大塚城は廃城となった。それ以外の事跡は伝わっていないらしい。上杉氏が入封すると、城址は年貢米の貯蔵所として利用されたと伝えられる。
 大塚城は現在、民家や耕作地となっているが、一部に土塁や空堀が残っている。特に高徳寺境内東に残る土塁と堀は、改変を受けているもののなかなか見事である。しかし城域を道路が突っ切るなど、全体に破壊が進んでいて、全体的な遺構はかなり湮滅している。また大塚氏転出後、土豪の牛谷氏は大塚城の大手門を居館の門に移築し、川西町の指定文化財となって現在まで残っている。唯一、城跡の面影を明確に感じさせてくれるものであろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.042650/140.076542/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

城が交通の要所に建てられている場合は、道路などで姿を留めないのは致し方ないかも知れませんし、よほど重要な城で無い限り広大な面積を維持させるのも無理があるのでしょう。
by fuzzy (2010-01-25 13:14) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
そうですねー。街中に近い平城の運命でしょう。
残念なことです。

by アテンザ23Z (2010-01-25 18:41) 

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