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瀬田城(東京都世田谷区) [古城めぐり(東京)]

DSC02446.JPG←行善寺西側の断崖
 瀬田城は、長崎館とも呼ばれ、長崎伊予守重光の築いた城である。重光は小田原北条氏の家臣で、天文年間(1532~54年)に功によってこの地に入部し、現在行善寺が置かれている丘の上に城を築いた。この時、重光は小田原にあった行善寺を現在地に移したと言われている。重光は後に入道して行善と号し、1552年に没した。重光の死後、瀬田城は隠岐守重高、四郎兵衛重次と子孫に受け継がれたが、1590年の小田原の役で北条氏が滅びると、長崎氏はそのまま土着し、代々名主を務めたと言う。

 深沢城は北条氏の家臣が世田谷城周辺に入部して築いた城であったが、程近いこの瀬田城も同様で、世田谷城に本拠を置く武蔵吉良氏に対する支援と監視の役を負っていたのであろう。瀬田城があったという行善寺の西側は、現在でも切り立った断崖に臨んでいる。周辺の台地は急崖で囲まれた台地上に位置しており、市街化によって遺構は湮滅しているものの、その地勢は現在でも城地として優れていたことが良くわかる。ここからの眺望は素晴らしく、往時は物見として好適の地であったろう。行善寺近くの台地下には丸子川が流れているが、かつては瀬田城の天然の外堀として機能していたのだろう。往時の面影を失っているものの、近くのゴルフ練習場(瀬田モダンゴルフ)に「長崎館跡」の小さな石碑が建っており、ここが城であったことをわずかに伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.616052/139.629503/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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らんまる

はじめまして。いつも興味深く拝見しております。
これだけの数の城郭を掲載しているのも凄いと感動しています。
また、信州上田の太郎山系の城の攻城では場所や写真を参考にさせていただきました。
これからもお邪魔しますが、宜しくお願い致します。
by らんまる (2010-08-30 22:31) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
私のブログへの訪問ありがとうございます。
山城先達の方々と比べれば、まだささやかな城めぐりですが、
多少ともお役に立てれば幸いです。
ここ最近は北条領の城めぐりがメインになっていましたが、
らんまるさんの攻城記を拝見して、信州の山城に心が疼いてきました。
今後ともよろしくお願い致します。
by アテンザ23Z (2010-08-31 00:30) 

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