三宿塁(東京都世田谷区) [古城めぐり(東京)]
←城址南西にある三宿神社
三宿塁は、三宿城とも呼ばれ、この地の領主の城が築かれていたと伝えられている。その領主が誰であったかは不明であるが、比較的近年まで空堀の跡が残っていたと言う。室町時代には、世田谷吉良氏の勢力下組み込まれて、世田谷城東方を守る砦として機能したと思われる。
三宿塁の地は、北沢川と烏山川の合流点の西側の舌状台地上にあり、相模矢倉沢往還を扼す要衝で、西側を掘り切って要害としていたと考えられる。現在多聞小学校が置かれている付近が城跡とされている。周辺は市街化しており、遺構は全く失われている。小学校の南には三宿神社があるが、本城より高い位置にあるので、かつては物見として機能したのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.652397/139.673953/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
三宿塁は、三宿城とも呼ばれ、この地の領主の城が築かれていたと伝えられている。その領主が誰であったかは不明であるが、比較的近年まで空堀の跡が残っていたと言う。室町時代には、世田谷吉良氏の勢力下組み込まれて、世田谷城東方を守る砦として機能したと思われる。
三宿塁の地は、北沢川と烏山川の合流点の西側の舌状台地上にあり、相模矢倉沢往還を扼す要衝で、西側を掘り切って要害としていたと考えられる。現在多聞小学校が置かれている付近が城跡とされている。周辺は市街化しており、遺構は全く失われている。小学校の南には三宿神社があるが、本城より高い位置にあるので、かつては物見として機能したのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.652397/139.673953/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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