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川島氏館(栃木県足利市) [古城めぐり(栃木)]

DSC03005.JPG←隅櫓部の土塁と堀跡
 川島氏館は、高松城とも呼ばれ、方形の居館跡である。一説では、館林城主赤井山城守が永禄年間(1558~70年)にこの地に移り住んで築いたとも言われるが、確証はない。「とちぎの古城を歩く」では、赤井氏の家臣川島勘解由左衛門宗満がこの地に入部して館を築いた説を有力視している。宗満の長男勘助は、徳川家康に従って1600年の関ヶ原の戦いで討死し、勘助の弟勘左衛門が遺領を相続して、その子孫が江戸時代を通して名主を務めたと言う。現在もその後裔の川島氏の住居となっている。
 川島氏館は、現川島氏宅の周囲をほぼ方形に土塁と空堀が囲んでいる。南半分は土塁も空堀もかなり浅くなっており、それほどの印象を持たないが、北半分の土塁と空堀は見応えのある規模で残っている。特に北西隅は一段高くなっており、隅櫓跡と考えられている。北側の空堀の東寄りには搦手と思われる虎口と土橋が残っている。この土橋を境に、北の堀は東南東に斜めに折れており、鬼門除けの一種であるのかもしれない。その為、完全な方形ではなく、不等辺五角形の形をした居館となっている。又その周囲にも回字状の外郭があった様で、主郭東西に東馬場・西馬場の地名が残っているという。以前に訪城した時は、もう夕闇迫る時刻であった為、そんな時間に訪問して遺構を見させて頂く訳にもいかず、入口付近の遺構のみを確認して撤収したが、今回(2012年8月)たまたま他の城巡りで通りかかったので、リベンジした。丁度、奥方様が庭掃除をしており、声を掛けて遺構を見せて頂いたが、笑みを絶やさないとても愛想の良い対応をして頂いた。この場を借りて、お礼を申し上げます。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.280961/139.497678/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
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