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杉浦八郎五郎勝吉屋敷(神奈川県横浜市戸塚区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC01833.JPG←殿谷の本門寺
 杉浦八郎五郎勝吉は、平良文の流れを汲む相模の豪族三浦氏の一族で、鎌倉時代には杉本氏を称していた。1213年の和田合戦で、和田義盛の子杉本八郎義国は近江に逃れ、杉浦を名乗って土着したと言う。杉浦八郎五郎吉貞の子勝吉は、1556年の日近合戦から徳川家康に属し、1590年に家康が関東に入部すると小雀村を知行した。元々、この地は小田原北条氏家臣の間宮豊前守康俊が領しており、小田原戦役の頃には長尾砦と同様に玉縄城の支砦が構築されていたと推測されている。一方、殿谷と呼ばれる谷戸は、杉浦勝吉の屋敷があったとされ、勝吉は1611年に病死し、養子勝次が跡を継いで幕末まで続いた。
 杉浦八郎五郎勝吉屋敷があったとされる殿谷は、左右を尾根で囲まれ、背後にそびえる丘陵で守られた、見るからに要害性の高い地形で、屋敷があったとすれば本門寺付近が最も適するだろう。しかし遺構はなく、背後の山も周囲は宅地化でだいぶ削られてしまっている。現在では、往時を思い浮かべるのも難しい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.375142/139.516143/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
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ぼくあずさ

記事拝見しました。非常感謝。
私の母方の曾祖母野崎スミ(旧姓杉浦)は嘉永2年(1849年)
上野不忍の池畔の家老屋敷に生まれました。
横浜戸塚にご先祖の陣屋があります。
Liebe Gruesse,


by ぼくあずさ (2018-02-20 20:04) 

アテンザ23Z

>ぼくあずささん
ご訪問いただきありがとうございます。
杉浦氏の末裔のお方とは恐れ入ります。
引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。
by アテンザ23Z (2018-02-20 21:49) 

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