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赤松三尊像(兵庫県上郡町) [その他の史跡巡り]

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 赤松三尊像は、播磨の守護大名赤松氏に縁の深い宝林寺にあり、現在兵庫県の指定文化財となっている。元弘の乱で活躍し、その後建武の新政下での冷遇に怒って足利尊氏の有力な与党となって室町幕府の創業に大きな功績を挙げた赤松円心、その3男で円心の後を継いだ赤松則祐、別法和尚(雪村友梅とも言われる)、則祐の娘である覚安尼。これらの木造を総称して赤松三尊像といい、実際は4体の木造である。南北朝フリークとしては、是非見なければいけない文化財!ということで、事前に予約を入れて宝林寺に伺わせていただいた。その際、御住職から色々と貴重なお話を伺うことができた。

 赤松三尊像は、円心館という名の宝物館に安置されている。これらの木造は昭和50年代に文化庁が国重文指定できるかを調査したのだが、後世の修理歴があったために惜しくも国重文指定を外れ、それだったらと兵庫県が県指定の文化財としたそうである。円心像も則祐像も、還暦祝いに木像を作ったとも言われるらしい。もしその伝承が事実なら、その人物と同時代の木像ということで本人を模した可能性が高く、正しく歴史の生き証人であり貴重な文化財であろう。玉眼が嵌めこまれた木造の表情は、まるで本人を目の前にしている様な生々しさがある。古い木造なので、虫食いの穴が沢山開いていて、以前は細かい木クズが出てきていたが、何年も前に木像を移動させた時に燻蒸してから木クズが出なくなったそうなので、奥にいた虫も死滅したのだろう。娘の覚安尼像は、運慶・快慶などで知られる慶派の彫像とされ、慶派で生身の人間を模した木像はこれだけだとのこと。更に、女性の身分の低かったこの時代に、生身の女性の像が作られることは極めて稀であるので、娘の像を当時を代表する芸術家集団に掘らせた赤松氏の権勢の強さが窺える。また赤松氏勃興の英傑円心は勿論、6代将軍足利義教を暗殺する嘉吉の乱を引き起こした赤松満祐すらも、地元では名君と伝えられているという。だから赤松氏が討伐を受けて一旦廃絶となった後も、旧臣による再興運動が起きてお家再興が成ったのかと納得した。宝物館にはこれらの木造のほか、円心の愛用した椀や着用した冑などが残っており、一代の梟雄赤松円心の息吹を感じることができる。

 尚、宝林寺の寺堂は数年前に佐用町を襲った集中豪雨による洪水で流されてしまい、現在は建て直したものとのことで、小さな建物になってしまっている。つい先月も台風で豪雨に見舞われている地域なので、その後ご住職やお寺が無事であるのか心配である。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.915954/134.352483/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

※ご好意により三尊像の写真を撮らせていただくことができたが、掲載許可は頂いてないのでブログには写真は掲載しません。あしからず。
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