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苔縄城(兵庫県上郡町) [古城めぐり(兵庫)]

DSC08061.JPG←主郭
 苔縄城は、元弘の乱の際に赤松円心が挙兵した城である。1333年、後醍醐天皇は既に隠岐に配流されていたが、後醍醐天皇の子の大塔宮護良親王は再び反幕の兵を挙げ、諸国の武士に挙兵を促す令旨を発した。河内では楠木正成が密かに千早城を築いて兵を挙げ、播磨の土豪赤松円心則村も苔縄城を築いて一族を集めて挙兵した。元弘の乱は、その最終段階で足利尊氏・新田義貞が後醍醐方に付き、六波羅探題・鎌倉を攻め滅ぼして集結したが、円心は早い段階から挙兵しており、その倒幕における功績は楠木正成・名和長年らに引けを取らないものであった。しかし建武の新政では冷遇された為に、尊氏が叛すると足利方に付いて活躍した。その経緯は赤松円心館の項に記載する。以後は白旗城が円心の軍事拠点となっており、苔縄城は元弘の乱の時だけ使用されたと考えられる。

 苔縄城は、標高369m、比高319mの峻険な山城である。しかし城としてはささやかなもので、主郭と腰曲輪だけから成るほぼ単郭の砦で、楠木正成の赤坂城と同じく急ごしらえの城と考えられる。主郭には現在愛宕社が鎮座している。一方の白旗城は、準備万端の築城であったものだろう。苔縄城へは、赤松小学校の裏から登山道が伸びている。きつい登り道で、やはり400m超の白旗城の後での登城は辛い。白旗城・苔縄城を連チャンで登ったら、さすがに足がヘロヘロになった。尚、赤松小裏には段々の削平地があり、赤松氏の屋敷があったとも言われているそうだ。いずれにしても、南北朝フリークや赤松ファン以外はあまり見るべきもののない城であろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.902440/134.347504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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