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中道子山城(兵庫県加古川市) [古城めぐり(兵庫)]

DSC02864.JPG←搦手虎口の石積み
 中道子山城は、播磨守護赤松氏の一族の居城である。その創築は、赤松円心の4男氏範によると言われている。氏範は、赤松一族ではただ一人終始南朝方に付いて奮戦したものの、後に北朝方に降伏、その後叛乱を起こして1383年に滅ぼされた。その後、赤松満政の3男満直は、孝橋氏の養子となって孝橋繁広となり、嘉吉の乱で一旦滅亡した赤松宗家が再興されると、孝橋繁広は中道子山城を与えられて居城とした。その後、孝橋氏の歴代の居城となったが、戦国時代の孝橋秀時の時に居城を浅瀬山城に移し、中道子山城は天正年間(1573~92年)に羽柴秀吉の攻撃を受けて落城したと言う。

 中道子山城は、標高271.3m、比高240m程の城山に築かれている。遺構は完存しており、大きく本丸・二ノ丸・三ノ丸とそれらを取り巻く腰曲輪から構成され、各曲輪の虎口構造は中世城郭の完成形とも言えるほど整っている。2ヶ所の櫓門跡がよく残っており、搦手には規模は小さいが石積みで固められた門跡も残っている。搦手には井戸曲輪があり、石積み井戸が残っている。三ノ丸の先の尾根筋には堀切が穿たれているが、二重堀切とされるものは実際の形状は、一重の大堀切+横堀と言う感じに近い。大堀切は深さ7~8m程もあり、斜度も60°近い急斜面で分断効果が大きいものである。大堀切から三ノ郭に近づくと土塁があり、その先が横堀に近い形状の堀切となっている。三ノ郭前面に腰曲輪があり、更にその前衛の堀切という構造の様である。割りと小さい城であるが見所は多く、整備も適度にされているのでおすすめである。ただ、地図では麓から車道が伸びていて山頂近くまで車で行けるかと思ったが、実際は車両進入禁止で麓から延々歩きとなったのは誤算だった。
大堀切→DSC02921.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.831735/134.855086/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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