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龍野城(兵庫県たつの市) [古城めぐり(兵庫)]

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 龍野城は、鶏籠山に築かれた中世山城とその南麓に築かれた御殿風の近世平山城と2つから成る複合城郭である。山城は、別名を龍野古城とも鶏籠山城と呼ばれ、本項とは別に記載する。ここでは近世城郭としての龍野城について記載する。

 近世龍野城は、慶長年間(1596~1615年)の石川光元時代に築かれたとも、或いは元和から寛永年間(1615~43年)にかけての本多政朝か小笠原長次時代に築かれたとも言われている。しかし、その後京極氏が入り、京極氏が1658年に丸亀城に移封となると、天領となって城は一旦破却された。1672年、脇坂安政が信濃飯田から入部すると、荒れ果てた龍野城を修復して現在残る形とした。その後は龍野藩脇坂氏の歴代の居城となり、脇坂氏は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭切腹後の赤穂城の受取りの大役を全うするなど、幕政に重きを成した。そのまま幕末まで城は存続した。

 龍野城は、鶏籠山を背後に控えた比高20m程の台地上に築かれた平山城である。築城時の太平の世という時代背景を投影して、城とは言うものの構え自体も規模も御殿風となっている。しかし周囲を石垣で囲み、桝形門や隅櫓が築かれていて、堂々たる構えである。ただ現在見られる龍野城は、明治維新後に破却されたものを昭和50年以降に復元した際、石垣を壊して壮大な埋門を新築し、1層の隅櫓があったところに2層の隅櫓を新築するなど、「復元よりも新築に変わってしまった」(日本城郭大系の記述)と言うので、往時の城の姿はその分を割り引いて考える必要があるだろう。それでも古い城下町の雰囲気を濃厚に漂わせた街並みの奥にそびえ、復元された本丸御殿が優美な、捨てがたい雰囲気の城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(正確な復元でない分、減点)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.868556/134.544550/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世平山城
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