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山田城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]

DSC03195.JPG←屋敷に残る長屋門
 山田城は、白石城とも言い、又現在では白石家戸長屋敷と呼称されている。当地の土豪白石氏の居城であるが、その由来にはいくつかの説がある様である。一つは、佐竹氏の一族の出自で、南北朝時代に活躍した白石宗義を祖とし、応仁年間(1467~69年)に当地に入部し、皆川氏に仕えたとする説。もう一つは、屋敷前に建っている石碑の記載で、平安時代の天禄(970年)の頃に白石左京亮藤原昌頼が土着したことに始まるとする説。後者では、28代教義の長男義久は今川氏に仕えて当地を離れ、次男義次が家業を継ぎ、3男秀直が皆川氏に仕えたとされる。いずれにしても戦国時代には一族が皆川氏に仕えていたことは間違いない様で、皆川城落城の際には主君皆川広照の妻子を匿ったと言われている。その後帰農し、江戸時代を通して旧家として繁栄した様だ。
 山田城は、現在は大平町の郷土資料館として有料で開放されており、江戸時代の古い名主の屋敷を見ることができる。ネット上の情報では、現在では中世の城館とは認知されていないらしいが、晃石山を背後に控えた立地は、中世の居館の風情を色濃く残している。付近には「内堀」の地名も残っており、現在認知されていないとしても、戦国時代に城館があったことは十分考え得ることであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.351676/139.681721/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

2017-9-17補足
おおひら歴史民俗資料館の方に話を伺ったところ、山田城というのは、実はどうも実在しない城らしいとのこと。白石家の昔の当主の方が「城があった」と言っていたが、でっちあげた話だったとか・・・。真偽不明の逸話のため、ここに書き記すに留めておく。
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