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内ヶ島氏館(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC03560.JPG←館跡の標柱の建つ永光寺山門
 内ヶ島氏館は、武蔵七党猪俣党の一流、内ヶ島五郎・同三郎の居館である。平安時代末期に、猪俣党の岡部忠綱の子国綱が内ヶ島に住し、内ヶ島五郎を称して内ヶ島氏の祖となった。その後、1221年の承久の乱の際には、国綱の子三郎忠俊が上洛軍に加わり、宇治合戦で活躍した。
 内ヶ島氏館は、現在の永光寺付近だと言われている。近年まで遺構があったと解説板にあるが、寺の周囲は宅地化され、現在遺構は全て湮滅している。周辺には西廓・東廓・南廓といった小字名が残り、館があったことをわずかに伝えている。尚、内ヶ島氏と言えば、戦国末期に山津波に城ごと飲み込まれて族滅した飛騨帰雲城の内ヶ島氏が有名であるが、猪俣党の内ヶ島氏の末裔との説もあるそうである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.218241/139.271461/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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