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青田山砦(静岡県掛川市) [古城めぐり(静岡)]

DSC03682.JPG←東陣場の平場
 青田山砦は、掛川城包囲戦の際に徳川家康が築いた砦である。1568年、甲相駿三国同盟を破棄して駿河に攻め込んだ武田信玄によって、今川氏真は駿府を逐われ、重臣朝比奈備中守泰朝を頼って掛川城に逃れた。信玄と時を同じくして西から今川領に攻め入った徳川家康は、掛川城周辺に4つの砦を築き、その内の一つ青田山砦には、松平清宗が形原・東条両松平氏と共に拠り、掛川城攻城戦で戦功を挙げたと言う。しかし徳川勢は掛川城を攻めあぐね、攻城戦は半年に及び、氏真を無事に北条領の伊豆まで移すことでようやく講和が成立し、掛川城は開城、青田山砦も廃された。しかしその後の1574年、武田勝頼が高天神城を包囲した際には、徳川方の城将小笠原長忠が匂坂牛之助を使者として援軍派遣を家康に要請し、その是非を青田山で狼煙を上げて連絡するよう命じたとされる。

 青田山砦は、東名高速掛川IC出口のすぐ南に位置する標高108mの山上に築かれた砦である。大きく西陣場と東陣場で構成され、その間の古道を望む谷が天然の大堀切となっている。現在、東陣場は公園となり、平場の中央に土壇があり石碑が建てられている。平場がある以外、遺構ははっきりしないが、塩の道と呼ばれる古道が通る東陣場からは掛川城や掛川古城がよく見え、絶好の陣場であったことがよく分かる。一方、西陣場を隔てる大堀切は猛烈な薮に埋もれており、トライはしたもののあまりの酷さに突入は断念した。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.758926/138.026122/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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