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美人ヶ谷城(静岡県掛川市) [古城めぐり(静岡)]

DSC09731.JPG←二ノ郭前面の堀切
 美人ヶ谷城は、石谷城とも言い、この地の国人領主石谷氏の城と言われている。石谷氏の出自には諸説あり、鎌倉・室町幕府の実務官僚であった二階堂氏の後裔とも、西郷民部少輔という土豪の裔とも言われるがはっきりしない。石谷氏がはっきりと姿を現すのは、石谷政清の代からである。政清は、二階堂左馬助清長の子と言われ、最初今川氏に仕え、後の1568年から初めて徳川家康に仕えた。その子政信・清定も、父政清と共に家康に仕え、1590年に徳川氏が江戸に移封となると、多摩郡に所領を賜わって徳川氏の旗本となり、徳川幕府の要職を歴任した。
 美人ヶ谷城は、比高50m程の丘陵上に築かれた城である。南北に伸びるなだらかな尾根上に築かれた単純な連郭式の城で、南斜面は特に平坦で茶畑となっており、こちらに大手があったと考えられる。その先の山林の中に平坦な曲輪が広がっている。南から順に三ノ郭・二ノ郭・主郭・西郭と連なっており、各曲輪は堀切で分断されている。堀切は、いずれも比較的小規模なもので、最も深い二ノ郭前面の堀切でも深さ3m程しかない。またこの二ノ郭前面だけが腰曲輪を挟んだ二重堀切となっている。また主郭背後にはわずかに土塁が築かれている。西郭は耕作放棄地の茶畑となっている。美人ヶ谷城は、いずれの曲輪も削平が全体に甘く、普請の状況から考えれば、南北朝期から戦国初期の城だったと推測される。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.815847/138.014277/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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