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若木楯(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

DSC01575.JPG←大手道から見た腰曲輪群
 若木楯は、最上氏の支城で最上四十八楯の一つである。その創築は不明で、一説には1438年に最上頼宗の家臣新関因幡守吉綱によって築城されたと言うが、確証はない。1574年の最上義守・義光父子の抗争の際には、新関氏は義守方に付いた為、義光方の軍勢は若木楯の「外城」を攻撃したことが知られている。1622年に最上氏が改易されると廃城となった。
 若木楯は、廣福寺の北西に隣接する比高25m程の丘陵上に築かれた平山城である。城内は現在、段々畑に変貌しているが、遺構は比較的明瞭で、この段々畑がみな腰曲輪であったと考えられる。山上には南北に主郭とニノ郭があり、その間には空堀が穿たれて分断されている。但し、比較的浅い空堀で、どれほどの分断効果があったのかは疑問である。規模は異なるが成沢城と同じく多くの曲輪群だけで構成された城だった様だ。尚、丘陵基部を貫通する車道は、かつての堀切跡だったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.26099,140.251677&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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