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三沢楯(山形県米沢市) [古城めぐり(山形)]

IMG_1674.JPG←東斜面の横堀
 三沢楯は、伊達氏の家臣富沢飛騨守の居城である。築城時期は明確ではないが、現在残る遺構から1580年前後の伊達輝宗期の城と推測されている。豊臣秀吉による奥羽仕置によって、伊達氏が岩手山へ移封になると、富沢氏も同行してこの地を離れ、そのまま廃城になったと考えられている。
 三沢楯は、羽黒川東岸の比高60m程の丘陵上に築かれた城である。小規模な城で、南北に曲輪を連ねた連郭式を基本とし、周囲に腰曲輪や横堀を廻らせている。南側の腰曲輪には蔵王神社の祠がある。山上は主郭の北に伸びる尾根に、わずかな段差で区切られた曲輪が連なり、その先に堀切がある。この堀切の東側に落ちる竪堀には土塁が並走し、二重竪堀の様になっている。この堀切の北尾根にも曲輪があるらしいが、後世の改変と薮でよくわからない。一方、前述の堀切から東の斜面には2段の小規模な横堀が穿たれて、主城部の側面を防御している。この横堀の真ん中辺りには土橋が掛かり、上の曲輪に繋がる城道となっていた様である。三沢楯は、神社の参道もあり、比高も低いので簡単に訪城できるが、城内は比較的草薮が多く、遺構が小規模なため確認し辛い。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.869118/140.152482/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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