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岡本城(千葉県南房総市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_4321.JPG←5郭の削り残し土塁と櫓台
 岡本城は、安房里見氏の戦国時代最後の居城である。元々はこの地の国人領主岡本氏の居城であったが、里見氏7代義弘は小田原北条氏に対する海防の要地にする為、時の城主岡本随縁斎から城を譲り受けて、岡本兵部少輔氏元を普請奉行として城を大改修し、1572年に完成させた。その後は養嗣子であった義頼を城主とした。1578年、義弘は今際の際に養嗣子義頼に安房国を、実子梅王丸に上総国を与えて亡くなった。しかし間もなく、義頼と梅王丸との間で家督継承争いが起き、義頼が抗争を制して家督を継承し、岡本城を里見宗家の居城とした。一方、敗れた梅王丸は、城内の一郭聖山に幽閉されて一生を終えた。1590年、豊臣秀吉の仕置きによって里見義康は上総を没収され、翌91年に館山城に居城を移し、岡本城は本城としての役目を終えた。

 岡本城は、富浦湾を眼下に収める標高50~60mに築かれた城である。現在は国指定史跡になって整備が進められているが、城域はほとんど枇杷畑に変貌している。縄張りとしては、曲輪周囲の山腹を削りあげて絶壁と為した堅固な作りではあるが、単に曲輪群を連ねただけの古い形態の城で、あまり戦国末期の技巧性を感じさせない。主郭の北側には細尾根の先に櫓台が築かれ、周囲は絶壁の下に腰曲輪が置かれている。主郭の背後には堀切があるが、あまり峻険なものではない。主郭背後は、二ノ郭等の曲輪群が連なっている。聖山とも称される5郭は平坦な広い曲輪で、北側に削り残しの土塁を築き、櫓台も備えている。その北尾根の先の下方には、枡ヶ池という水堀があるが、造海城の水堀に似ている様だ。とにかく古風な造りの城で、しかも畑化で改変も受けており、国指定史跡としてはちょっと残念な状況である。
主郭背後の堀切→IMG_4278.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.050155/139.835371/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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