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大野城(千葉県いすみ市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_6924.JPG←主郭北西端の堀切
 大野城は、15世紀を通して伊北荘を支配した上総狩野氏の居城と言われている。上総狩野氏は、伊豆の豪族で狩野城主であった狩野氏の一族で、織豊期に画壇を牛耳ることとなった狩野派の始祖狩野正信を輩出したとされる。その後、この地域は大多喜正木氏の支配下になったと考えられるので、大野城も大多喜正木氏の支城となったと推測されている。

 大野城は、夷隅川南岸の比高25m程の河岸段丘上に築かれた城である。この手の段丘上の城としては、周りの平地部との比高差が大きな台地上の城で、曲輪内は大半が畑と化して改変を受けているが、遺構は比較的良く残っている。台地西側の最高所に主郭とニノ郭を置き、その東側に腰曲輪を挟んで内城と呼ばれる三ノ郭を、更に空堀を挟んで外城と呼ばれる四ノ郭を配置している。三ノ郭の空堀はほとんど埋められて、わずかに痕跡を残す程度の畑に変貌している。三ノ郭の南には土塁が残り、薮で不明瞭だが堀切が穿たれている様だ。主郭の東端には八幡神社が鎮座し、その東下方の腰曲輪には土塁や横堀状の虎口が確認できる。主郭とニノ郭の間には堀があったらしいが、現在は埋められてしまいほとんどわからない。主郭の北西隅には大きな堀切が穿たれて、先端部の物見台と分断されている。この堀切は薬研堀で、主郭下の腰曲輪から横矢が掛けられている。この他、車道を挟んで南西にも小さな外郭があり、車道建設で破壊されているもののここにも堀切が残っている。台地上の地勢や堀の造りなど、全体的な城の造りは北条的だが、大多喜正木氏の城と考えられている。個人的には少々謎が残る。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.276953/140.285445/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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