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金山城(千葉県鴨川市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_1929.JPG←外周土塁の切通し状虎口
 金山城は、この地の豪族東条氏の城であったと伝えられている。伝承では、平安末期には長狭六郎常伴など長狭氏の居城であったと言われる。常伴は、石橋山の合戦で大敗して安房に落ち延びてきた源頼朝を襲撃したが、逆に頼朝方の三浦氏らに討たれたと言われる。室町時代には東条氏の居城となり、里見義実による安房平定の最後の城となり、里見勢に攻められて落城したと言うが、確証はない。戦国時代には里見方の属城となったが、1580年の正木憲時の乱の際に正木方の城であったことが確認され、里見義頼に攻め落とされた。

 金山城は、金山ダム北西の丘陵上に築かれた城である。城内最高所から順に、主郭・ニノ郭・三ノ郭を連ね、その東側下方にまるでグラウンドの様な半楕円形の広い曲輪を築いている。しかしこの最下段の曲輪は、金山ダム建設の際の大量の採土の為改変されているらしい。この曲輪の外周には、高さ5m程もある大きな土塁(というか、岩盤の削り残し)が残っており、そこに垂直切岸の切通し虎口が数ヶ所築かれている。この手のグラウンド状の広い円形の曲輪は、下野鹿沼城や遠江城之崎城などにも見られるので、同様の形状であった可能性が考えられ、主殿などが置かれていたのではないだろうか。また外周土塁の南東隅は櫓台となっており、外周への防御を固めていたとみられる。主郭~三ノ郭は、切岸だけで区画された比較的小さな曲輪で、おそらく下の居館的曲輪に対する詰城的な部分だったのだろう。主郭背後の尾根にも細尾根遺構群が存在し、垂直切岸の大堀切などや大岩をそのまま利用した物見台などが確認できる。金山城は、山間の間道を押さえる中継拠点的な城砦として、重視されたことが伺われる。
主郭東尾根の大堀切→IMG_1960.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.153539/140.073109/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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