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田間城(千葉県東金市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_2914.JPG←竪土塁と堀切状虎口
 田間城は、東金酒井氏の支城である。1509年、土気城主酒井定隆は嫡子定治に土気城と家督を譲り、田間城を新たな居城として築いて3男隆敏と共に移った。しかし城地が狭隘であった為、間もなく東金城に居城を移し、以後東金酒井氏の支城となった。

 田間城は、田間神社後背部の比高50m程のなだらかな丘陵上に築かれている。丘陵頂部に堀切で分断された主郭・ニノ郭を連ね、その周囲に広い腰曲輪群を展開した縄張りとなっている。主郭も二ノ郭も広く、居住性のある城であったと思われる。間の堀切は鋭さのない幅広の堀で、堀切兼用の虎口曲輪のように機能した様に考えられる。主郭・ニノ郭とも周囲の腰曲輪からは5m程の高さの切岸で囲まれている。ニノ郭南端には堀切を介して櫓台が築かれている。この城で特徴的なのは、ニノ郭の西面から南面にかけて広がる腰曲輪群で、腰曲輪が多数築かれ、最下段は6本程度の放射状に築かれた竪土塁で区画されている。これらの竪土塁群は細尾根城郭の変則形とも言え、竪土塁の根元部に堀切状虎口が数ヶ所築かれている。こうした放射状の竪土塁群は類例が殆ど無い。この他、竪堀状の城道が腰曲輪群を貫通している。傾斜の緩い地形の弱点を技巧性で補った縄張りの様である。
 田間城は、城地としては細尾根城郭の東金城より腰曲輪など広やかで、「城地が狭隘で城を移した」という伝承は疑問に思う。城地の狭さより、要害性に乏しい地勢故に防備の弱さを感じて居城を移したという方が正しいのではないだろうか。
主郭・ニノ郭間堀切→IMG_2863.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.572512/140.369317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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