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山川綾戸城(茨城県結城市) [古城めぐり(茨城)]

DSC01328.JPG←唯一残る土塁
(2006年10月訪城)
 山川綾戸城は、下総結城氏の庶流山川氏の居城である。山川氏は、結城氏初代朝光の4男重光を祖とする一族で、山川氏の事績については山川氏館の項に記載する。山川氏は単郭方形居館に住していたが、戦国後期の1565年、山川駿河守氏重は新たに山川綾戸城を築いて居城を移した。これは丁度、小田原北条氏と越後上杉氏が北関東で抗争を繰り広げていた時期に当たり、居館での防備の弱さから新たに新城が築かれたのであろう。関ヶ原合戦後の1601年、主家結城秀康(実は徳川家康の次男)が越前に転封になると、山川讃岐守朝重も秀康に従って越前に移り、綾戸城は廃城となった。

 山川綾戸城は、西から南・東を山川沼と呼ばれる低湿地帯に囲まれた低台地上に築かれた城である。結城城と同様、広い湿地帯に囲まれた天然の要害で、北から突き出された台地の先端に築かれていたとされ、台地基部に当たる北側に三重四重の堀と土塁を築いて防御を固めた城だったが,現在は畑や宅地に変貌し、遺構はほとんど湮滅している。わずかに遺構とされる土塁が畑の中に残っているだけである。現在ではあまりの変貌ぶりにかつての縄張りもよくわからないが、この土塁は二ノ郭か三ノ郭の北西角に相当する様である。城のすぐ北側には山川新宿と言う集落があり、往時の新たな城下町の繁栄の名残を思わせる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.226128/139.863020/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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