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山中南城(千葉県芝山町) [古城めぐり(千葉)]

IMG_3676.JPG←城内中央の枡形
 山中南城は、宿谷と呼ばれる谷戸を挟んで山中北城のすぐ南東に隣接して築かれた城である。2つの城が至近距離に並立し、別城一郭として機能していたと考えられる。その歴史については、山中北城の項に記載する。

 山中南城は、山中北城と同様、高谷川南岸の比高20m程の小丘上に築かれている。規模的には北城よりちょっと大きい程度だが、縄張り的にはより先端的な築城技術で構築されている。北端の方形の曲輪が主郭で、八幡社のある腰曲輪から城道が残り、枡形虎口を経由して主郭に至る。主郭とその南のニノ郭の間は一直線状の空堀で分断され、主郭側には空堀に沿って土塁が築かれている。二ノ郭は三角形状の曲輪で、土壇らしいものが残る。ニノ郭と南側の曲輪群の間は窪地で区画されているが、ここに巧妙な袋小路の枡形虎口が築かれている。この枡形は、三ノ郭に通じる城道は土塁の障壁で防衛され、周囲の4つの櫓台から集中砲火される巧妙な造りとなっている。この城内中央の枡形の南には三ノ郭と四ノ郭が東西に並立し、2つの曲輪間は堀切を兼ねた切通し状虎口で分断されている。三ノ郭背後と四ノ郭背後にはそれぞれ櫓台がそびえ、櫓台土塁は高さ5m以上もあって郭内を睥睨している。櫓台からは土塁が塁線に沿って伸び、三ノ郭から四ノ郭にかけての背後には堀切が穿たれて外郭と分断している。この堀切は、横矢が掛けられている。山中南城は、大規模な城ではないが、横矢掛かりの堀切と共に、巧妙な枡形虎口が戦国末期の最先端の築城技術を伺わせる。
三ノ郭背後の堀切→IMG_3645.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.701332/140.436268/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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イラブ

お邪魔します、素敵な?枡形空間ですね! 人物が写ると 臨場感が出ますね。
バンブー地獄感も実にチバラギ的ですね(笑 まだ全然マシですね)
伊賀の城砦群を訪れた時(北村氏だったか?) 縄張り、風情がここと似ていてアレッ?と思った事がありました。
それでは、今後も楽しみに拝見させて頂きます。
by イラブ (2014-08-10 10:51) 

アテンザ23Z

>イラブさん
伊賀は、小土豪が自治的支配で割拠していたと思うので(すみません、不勉強で・・・)、上総とはだいぶ国情が違いますが、城が似ているのですね。全く歴史も土地も違うのに、同じような城が築かれているとは、何とも面白い限りです。
by アテンザ23Z (2014-08-11 00:57) 

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