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戸村城(茨城県那珂市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7582.JPG←外郭の堀と土塁
 戸村城は、この地の領主戸村氏の居城である。戸村氏には秀郷流藤原系と佐竹系の2流があった。最初にこの地に拠ったのが藤原系で、藤原秀郷の末裔能通が1160年に戸村城を築き、戸村小三郎と称したと言われている。南北朝期には、藤姓戸村氏は常陸南朝方として瓜連合戦などで戦ったが敗れて滅亡した。その後、室町後期の1460年、佐竹氏13代義憲の3男義倭が戸村城を再興して居城とし、戸村氏を称した。以後、7代に渡って佐竹宗家を支えた。6代義和は、1592年の文禄の役の際、佐竹氏に従軍して朝鮮で討死にした。関ヶ原合戦後の1602年、佐竹氏が出羽秋田へ移封となると、戸村氏もこれに従って秋田へ移り、戸村城は廃城となった。その後戸村氏は、8代義国が大阪冬の陣で活躍し、9代義連は1672年に横手城代となり、幕末まで佐竹一族の重臣として存続した。

 戸村城は、那珂川東岸の段丘上に築かれた城で、丁度那珂西城の対岸に位置している。城内は宅地化や耕地化によって改変されているが、宅地の中に断片的に遺構が残っている。北城・南城など堀と土塁で囲まれた幾つかの曲輪で構成された、群郭的な縄張りであったらしい。戸村不動尊から車道を西に進むと、城址標柱と解説板があり、その背後が南城の土塁となっている。その少し北に、民家を囲むように土塁と堀が往時の姿を残している。またここから少し北東に150m程離れた所にも、外郭の堀と土塁が残っている。しかし全体に断片的な遺構でしかなく、しかも民家の真裏などに遺構があるため、不審者と間違われないように気を遣うし、あまり近づいて見ることもできない。一応市の史跡になっている様なので、一定の保護措置は取られているのだろうが、これ以上の湮滅を防ぐ手立てを積極的に講じてほしいものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.456774/140.423319/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
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