舞木城(群馬県千代田町) [古城めぐり(群馬)]
←城跡に立つ藤原秀衡の石碑
舞木城は、享禄年間(1528~32年)に俵秀賢とその子五郎秀覧の居城であったと推測されている。俵氏は、承平天慶の乱の際に平将門討伐で功を挙げて鎮守府将軍となった藤原秀郷の末裔とされ、舞木城も元々は秀郷が承平年間(931~8年)に築城したとの伝説もある。またそれだけでなく、秀郷の誕生地であるとの伝説も残る。また『館林盛衰記』には、享禄の頃に大袋城主赤井照光が舞木城の俵氏の元へ年賀に行く途中で子狐を助け、その狐の導きによって館林城を築いたとの伝説も記されている。虚実入り交じった伝説の多い城である。
舞木城は、現在は公園や住宅地となっており、遺構は完全に湮滅している。元々は小学校があったらしく、南にはわずかに堀跡もあったと言うが、小学校は昭和44年に移転しており、その後たわら住宅団地が造成されたため、わずかに残っていた遺構も消滅したらしい。すぐ南を利根川が流れており、赤岩城と共に赤岩の渡しを押さえる城だったのかもしれない。尚、現在公園には舞木城の解説板の他、藤原秀衡公誕生之地と刻まれた大きな石碑が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.212026/139.432511/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
舞木城は、享禄年間(1528~32年)に俵秀賢とその子五郎秀覧の居城であったと推測されている。俵氏は、承平天慶の乱の際に平将門討伐で功を挙げて鎮守府将軍となった藤原秀郷の末裔とされ、舞木城も元々は秀郷が承平年間(931~8年)に築城したとの伝説もある。またそれだけでなく、秀郷の誕生地であるとの伝説も残る。また『館林盛衰記』には、享禄の頃に大袋城主赤井照光が舞木城の俵氏の元へ年賀に行く途中で子狐を助け、その狐の導きによって館林城を築いたとの伝説も記されている。虚実入り交じった伝説の多い城である。
舞木城は、現在は公園や住宅地となっており、遺構は完全に湮滅している。元々は小学校があったらしく、南にはわずかに堀跡もあったと言うが、小学校は昭和44年に移転しており、その後たわら住宅団地が造成されたため、わずかに残っていた遺構も消滅したらしい。すぐ南を利根川が流れており、赤岩城と共に赤岩の渡しを押さえる城だったのかもしれない。尚、現在公園には舞木城の解説板の他、藤原秀衡公誕生之地と刻まれた大きな石碑が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.212026/139.432511/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
タグ:中世平城
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