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箕ノ口楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN7700.JPG←主郭西側の堀切
 箕ノ口楯(箕ノ口館)は、『日本城郭大系』では巳口城と記載され、この地の豪族狩野氏の歴代の居城である。狩野氏は、真坂楯を本拠とし、一迫川流域一帯を支配した豪族で、その事績は真坂楯の項に記載する。箕ノ口楯は、真坂楯主狩野氏の一族狩野兵庫頭為直が1190年に築いて居城としたと伝えられるが、築城時期は室町時代まで降る可能性も考えられる。城の南東麓にある城国寺には楯主狩野氏の墓があり、墓碑に箕ノ口狩野氏の事績が刻まれているが、室町・戦国期の記述には不明点が多い。いずれにしても、1590年の豊臣秀吉による奥州仕置で大崎氏が改易となると狩野氏も没落した。

 箕ノ口楯は、標高190m、比高90m程の山上に築かれている。南麓の道路沿いに城址(遺跡)標柱があり、その奥から登れそうだったのでそこから登ったが、斜面直登で少々大変だった。後でよくよく調べてみたら、城国寺の裏に東尾根が伸びてきており、尾根途中には高圧鉄塔も建っているので保守道があるはずであり、城国寺裏から登る方が正解だった様だ。箕ノ口楯は、山頂に南北に長い主郭を置き、外周に腰曲輪を廻らしている。主郭の南東部は一段低い平場となって東側に張り出しており、横矢を意識している。腰曲輪は基本的に1段だが、南東部だけ数段の腰曲輪群が連なっている。その先は城国寺裏に伸びる東尾根で、こちらに大手があったと思われる。城内に入ったところで雨が降ってきたので、東尾根は踏査しなかったが、途中に堀切があるらしい。一方、主郭の西と北西に張り出した尾根には堀切を挟んで出曲輪が築かれている。西の堀切は幅広の浅い箱堀で、腰曲輪兼用の堀切である。北西の堀切は浅い薬研堀である。西と北西の出曲輪は、いずれも先端部が自然地形で切岸がないので、先端の境界がはっきりせず、普請がアバウトである。この内、北西の出曲輪では、曲輪内に塚の様な土壇を築き、南辺には帯曲輪を配置している。また城から北に伸びる尾根に対しても堀切が穿たれている。以上が箕ノ口楯の遺構で、藪払いがされているので遺構は見やすいが、あまり技巧性のある縄張りの城ではなく、見所が少なくて少々残念である。
主郭切岸と腰曲輪→DSCN7719.JPG
DSCN7747.JPG←北尾根を分断する堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/38.769125/140.866152/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

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