金原城(群馬県東吾妻町) [古城めぐり(群馬)]
←主郭と思われる畑
金原城は、白狐城とも言い、応永年間(1394~1428年)に金原左衛門尉という武士の居城であったと伝えられている。
金原城は、吾妻川南岸の比高35mの丘陵先端部に築かれている。登り口に城址標柱があり、そこから登っていくと腰曲輪状の平場を経由して忠霊塔の建つ平場に達する。これがどうも二ノ郭であるらしい。その上にももう一段、畑になっている平場があり、おそらくこれが主郭なのだろう。主郭の後部は一段高くなっている他、東側にも段々になった腰曲輪状の平場がある。しかし城とするには、背後の台地基部を分断する堀切も見られず、段曲輪群のみで構成された城で、しかも後世の改変もあるので全てを遺構とみなせるかどうか、少々疑問に思うところもある。『群馬県古城塁祉の研究』では、「階段状になった地形を遺すのみで遺構は明らかでない」と書かれているそうだが、その通りの状況である。尚、吾妻川を挟んで目の前には岩井堂砦の奇岩がそびえている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.551190/138.902775/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
金原城は、白狐城とも言い、応永年間(1394~1428年)に金原左衛門尉という武士の居城であったと伝えられている。
金原城は、吾妻川南岸の比高35mの丘陵先端部に築かれている。登り口に城址標柱があり、そこから登っていくと腰曲輪状の平場を経由して忠霊塔の建つ平場に達する。これがどうも二ノ郭であるらしい。その上にももう一段、畑になっている平場があり、おそらくこれが主郭なのだろう。主郭の後部は一段高くなっている他、東側にも段々になった腰曲輪状の平場がある。しかし城とするには、背後の台地基部を分断する堀切も見られず、段曲輪群のみで構成された城で、しかも後世の改変もあるので全てを遺構とみなせるかどうか、少々疑問に思うところもある。『群馬県古城塁祉の研究』では、「階段状になった地形を遺すのみで遺構は明らかでない」と書かれているそうだが、その通りの状況である。尚、吾妻川を挟んで目の前には岩井堂砦の奇岩がそびえている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.551190/138.902775/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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