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武田信重館(山梨県笛吹市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2768.JPG←館跡に建つ成就院
(2020年8月訪城)
 武田信重館は、甲斐守護で武田氏14代信重の居館である。信重は流浪の守護と呼ばれ、父信満が1417年、上杉禅秀の乱で縁者である禅秀方に付いて木賊山で自害した後、鎌倉府や甲斐国で強大な権力を持つ一族の逸見氏の難から逃れる為に出家し、高野山に逃れた。しかしその後、禅秀を滅ぼした鎌倉公方足利持氏が幕府との対立姿勢を強めると、6代将軍となった足利義教は信重の甲斐守護復帰を画策し、1438年、幕府の命によって信濃守護小笠原氏と甲斐守護代跡部氏が支援して、信重は甲斐守護として入国した。実に21年ぶりの帰国であった。しかし入国後も依然として守護代跡部氏の勢力が強く、国内は安定せず、下剋上に悩まされたらしい。1450年信重は、黒坂太郎を討伐中に小山城主穴山伊豆守に攻められ、館付近で自刃した。
 尚、この館は、信満自刃後の1418年に武田信元(穴山満春)が甲斐守護として入国以来、武田伊豆千代丸、武田信重と、3代32年間の守護館となった。

 武田信重館は、笛吹川西岸の成就院の地にあったと伝えられる。この付近はしばしば笛吹川の氾濫に見舞われた場所であったため、遺構は完全に湮滅している。境内には信重の墓が残っており、所縁深い地であることを実感させる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.628384/138.618439/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲信の戦国史:武田氏と山の民の興亡 (地域から見た戦国150年)

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