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雁ヶ沢城(群馬県東吾妻町) [古城めぐり(群馬)]

DSCN1119.JPG←主郭背後の二重堀切
(2020年12月訪城)
 雁ヶ沢城は、信濃国滋野氏の庶流とされる横谷氏の城と伝えられる。横谷氏は、木曽義仲に仕えた土豪が吾妻に来住し、湯本氏が兄の系統で弟の系統が横谷氏になったとされる。『加沢記』に記載される1563年の真田幸隆による岩櫃城攻略の時にはこの城はなかったらしいことから、真田氏による岩櫃城攻略後に築かれたらしい。戦国後期に横谷重行は武田氏に降り、真田昌幸に属した。この頃には吾妻郡四騎(湯本・横谷・鎌原・西窪)とまで言われ、1582年の武田氏滅亡後は北条氏の侵攻に対して大戸城(手子丸城)、或いは倉内城に籠城した。北条氏滅亡後は沼田城主真田信幸に属して本領の横谷村を安堵された。関ヶ原合戦の際には、東西両軍に分かれた真田氏に従って横谷氏も東西に分かれて戦った。雁ヶ沢城を預かっていた横谷左近は真田昌幸に属し、下野国犬伏から上田へ帰城する昌幸軍の通過を容易にし、その後、上田の伊勢崎城を守ったと言う。

 雁ヶ沢城は、吾妻川と鍛冶屋沢川の合流点西側に突き出た、比高60m程の尾根上に築かれている。吾妻峡の険を避ける道陸神峠を往来する間道を押さえるための砦とされ、南麓に居館があったらしい。八ッ場ダム建設に伴い付け替えとなったJR吾妻線の旧線路を越えると東麓に松谷諏訪神社があり、そこから城へ登る道が付いている。登りきった細尾根上の平坦地が主郭で、後部が櫓台状に一段高くなっていて、祠が祀られている。主郭の背後の尾根に降ると、浅い二重堀切が穿たれている。しかしあまりに浅くて、ほとんど防御の役に立たないように見える。また堀切以外は明確な普請は少ない。『境目の山城と館(上野編)』でも記載している通り、道押さえの物見といった趣の小城砦である。
主郭→DSCN1105.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.569063/138.729011/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

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