SSブログ

古仲城(群馬県片品村) [古城めぐり(群馬)]

DSCN9303.JPG←西端の堀切
 古仲城(小中城)は、この地の土豪小中彦兵衛(兵衛尉?)の城である。彦兵衛は、上杉謙信が初めて関東に出馬すると、上野諸将と共に上杉氏に服属した。1569年に沼田氏が没落すると、彦兵衛は沼田城にあって、上野家成・川田重親の下で沼田地衆に関する諸事の奉行を務めた。1578年に謙信が急死すると、武田勝頼は側近の跡部勝資に命じて、彦兵衛を調略して沼田城略取の工作を行わせたと言う。

 古仲城は、片品川西岸に突き出た断崖上に築かれている。西側の台地基部以外の三方は渓谷に臨む垂直断崖で囲まれており、西側以外からは城へは接近できないという要害地形である。西側を通る市道脇に城への入口があり(城の案内標識があるが、根本が朽ちて倒れていた)、城までの散策路が一応付けられている。「一応」というのは、途中が笹薮に埋もれてわかりにくくなっているからである。城の西側を流れる細流に架かった一枚板の木橋を渡り、東に進めばすぐ城域である。最初に現れるのが台地基部を穿つ堀切で、ここから先が本城域になるが、堀切の西側にも腰曲輪状の平場が見られるので、堀切沿いに外郭があった様である。城内には、低土塁で囲まれた曲輪群があり、西から順に三ノ郭・二ノ郭・主郭と連なっている。三ノ郭の入口は食違い虎口が築かれ、三ノ郭・二ノ郭間は浅い空堀で区画されている。二ノ郭と主郭との間にはわずかな段差しかないが、ここにも食違い虎口が築かれて主郭に通じている。主郭内は広い平場となっているが、内部にはクランクする低土塁があり、建物などを仕切っていたと思われる。主郭の先端は高台となっており、物見台や烽火台として使用されていたと思われる。以上が古仲城の遺構で、城内は薮払いされており、遺構をよく確認することができる良好な城跡である。
主郭に通じる食違い虎口の土塁→DSCN9330.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.826729/139.240851/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント