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下姉体城(岩手県奥州市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN4398.JPG←内館に残る土塁
 下姉体城は、葛西氏の家臣大内氏の居城であったとも、佐久間氏の居城であったとも言われる。『仙台領古城書上』では、葛西氏の重臣柏山氏の配下大内源次郎の城とされ、大内氏は1588年の気仙浜田の兵乱で戦功を挙げたと言う。一方、この地の遠藤家の系図では、信州佐久郡森内出身の佐久間氏の城とされ、1189年、佐久間義師の時に源義経に仕えて奥州藤原氏に従い、下姉体城内の内館(本丸)に居住したとされる。2代義勝は道場館を築き、11代民部介保勝は、西館・松川館を築いたが、1564年に葛西氏の勘気を受け領地没収となった。12代内膳介まで本丸に居住したが、伊達政宗によって奥州各地の館が落城した際(葛西大崎一揆のことか?)、内膳介は一族の諸将17人と共に出陣して敗れ、津軽に退去した。その後は家老の大島隼人が本丸に残り、西館には松川四郎が居城。その後、黒石寺28世遠藤満室の3男輝春を婿養子に迎え、輝春が後を継ぐと佐久間姓を遠藤姓に改め、帰農したと言う。

 下姉体城は、北上川の支流大深沢川で区画された微高地に築かれている。南中央に本丸(内館)、その東に二の丸を置き、本丸・二の丸の北に道場館、道場館の西に西館、西館の南(本丸の西)に松川館を置いた群郭式の縄張りとなっている。城内の各館跡は全て宅地化され、遺構の湮滅が進んでいる。それでも内館や西館の周囲には土塁が残っており、土塁で囲まれた郭跡の雰囲気を残している。各館の周囲には濠があったとされるが、現在は全て埋められてしまっている。土塁だけが城跡の面影を残している。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.095771/141.176312/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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  • メディア: 単行本


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