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吉田本城・吉田古城(長野県高森町) [古城めぐり(長野)]

DSCN6413.JPG←本城主郭の土塁
 吉田本城・吉田古城は、松岡城主松岡氏の家臣吉田一族が拠った城とされる。吉田氏では、1400年の大塔合戦や1440年の結城合戦に吉田玄蕃という武士が参陣していることが知られる。尚、ここから少し南に離れたところにも吉田南城があるが、これらがどの様に使い分けられていたのかは、判明していない。

 吉田本城・吉田古城は、天竜川西方の河岸段丘上に位置し、北に胡麻目川による深い浸食谷が入り込んだ段丘北東角に築かれている。東にある複郭の城が吉田本城、北にある単郭の城が吉田古城である。
 吉田本城は、先端に主郭、その南西に二ノ郭を置き、更に二ノ郭の南西に小規模な出曲輪を配置している。出曲輪の脇から二ノ郭を通過して主郭に至る散策路が整備されている。主郭は、断崖に面した東辺以外を低土塁で防御しており、末広がりの四角形の形状をしている。南西角に枡形虎口があり、土塁がわずかに屈曲している。また南東端の土塁上には稲荷社があるが、塁線がやや外に張り出しており、横矢を掛けている。主郭の西と南は空堀で二ノ郭と分断されている。主郭の東斜面には横堀が穿たれているが、ガサ薮で形状がわかりにくい。二ノ郭は竹林になっており、西と南に切通し状の道が下っており、空堀を兼ねていたと思われる。西の切通し道を降った先にはお姫様の井戸と呼ばれる井戸跡が窪みとなって残っている。出曲輪も西と南を空堀で囲んだ小さな曲輪であるが、外周部は荒れた竹林で空堀がほとんどわからない。
 一方、吉田古城は、方形の主郭から成る城で、西と南に空堀を穿っているが、南の堀はほとんど埋まってしまっている。しかし東に小道を下ると、主郭東斜面の横堀があり、外側に土塁が築かれている。この横堀・土塁は、北端近くで二重空堀と二重土塁となっている。『信濃の山城と館』の縄張図ではここまでしか描かれていないが、実は北斜面にも遺構が残っている。主郭西の堀は切通し道になっていて、これを下っていくと北側の横堀に至る。この横堀は、腰曲輪に近い形状の部分もあるが、北東角で主郭東斜面の横堀と合流し、合流点で竪堀となって斜面を下っている。この竪堀の付け根には土塁が突き出ており、物見台となっていた様である。
 以上が吉田本城・吉田古城の遺構で、小規模な城館ではあるが遺構がよく残っており、伊那谷に多い、天竜川河岸段丘に築かれた小規模城砦の典型例となっている。
本城のお姫様の井戸→DSCN6387.JPG
DSCN6466.JPG←古城東側の二重土塁・二重空堀
古城北東角の横堀合流点→DSCN6506.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【吉田本城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.562439/137.884619/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【吉田古城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.563399/137.883718/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
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