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払川楯(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8635.JPG←堀切と三ノ郭櫓台
 払川楯(払川館)は、津軽石館とも言い、戦国時代に千徳城主となった南部氏一族千徳氏(一戸氏)の庶流津軽石氏の居城である。一戸勝富が閉伊郡津軽石村に分封されて津軽石氏を称した。津軽石勝富は当初沼里館を居城としていたが、手狭になったため1522年に新たに払川楯を築いて居城を移した。後に勝富は宗家の千徳氏と仲違いを起こし、1583年正月に千徳城での饗応の席で謀殺された。そのまま千徳勢が払川楯を攻撃して落城させ、以後廃城となった。

 払川楯は、瑞雲寺北東の比高50m程の山上に築かれている。瑞雲寺境内の南東にある墓地の脇から登道が整備されており、簡単に登ることができる。頂部に大土塁を備えた主郭を置き、その東に二ノ郭、主郭の北東に堀切を挟んで、後部に櫓台を備えた三ノ郭を配している。二ノ郭の先に伸びる東尾根と、三ノ郭の先に伸びる北東尾根と、2つの尾根上に舌状曲輪が築かれ、間の谷を挟んで2つの曲輪群が並立している。三ノ郭には貯水池があって改変を受けているが、基本的な形状は残っていると思われる。二ノ郭の先にある舌状曲輪側方の腰曲輪では、腰曲輪を貫通して竪堀が落ちている。二ノ郭の南斜面にも段々に曲輪群があり、大手道はこの曲輪群を登っていくように敷設されている。一方、主郭の北側は切岸だけで区画され、背後尾根の西には砦とされる高台があるが、墓地に改変されている。この砦の脇から主郭・二ノ郭の西側を断ち切るように斜めに横堀が穿たれている。以上が払川楯の遺構で、比較的小さな城であるが、決して単純に曲輪群を連ねただけではなく、竪堀・横堀で要所を防御した縄張りを有している。
腰曲輪から落ちる竪堀→DSCN8611.JPG
DSCN8725.JPG←二ノ郭西側の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.568125/141.929519/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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