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槻橋城(石川県白山市) [古城めぐり(石川)]

IMG_3242.JPG←主郭背後の大堀切
 槻橋城は、加賀守護富樫氏の家臣槻橋氏の居城である。富樫氏の盛衰を記した『官地論』には槻橋近江守重能の名が見え、1488年に高尾城で富樫政親が滅亡した時には、共に討死した武将の中に槻橋弥次郎・嫡家の豊後守・三郎左衛門・式部丞・弥六・三位房などの槻橋一族がおり、富樫氏の譜代家臣であった様だ。尚この城のある山は「御蔵山」と呼ばれ、「兵糧」を預けていた「御蔵」が一向一揆に攻められた時に焼失したと伝えられる。その後の城の歴史は不明であるが、遺構を見る限り戦国期まで一向宗により使われ続けたのではないかと思う。

 槻橋城は、標高221m、比高130mの山上に築かれている。幸いなことに舗装された林道が城の真裏を通っているので、訪城は極めてたやすい。車から降りでまず眼前に見えるのが主郭背後の大堀切とそびえ立つ主郭の切岸である。いきなりこれなので、テンションが上がる。主郭背後の切岸には武者走りが1段あり、背後の防御を固めていたことがわかる。また前面と右側にも腰曲輪が廻り、前面の腰曲輪には桝形虎口が築かれている。主郭は横長の長方形の曲輪で、前面以外の3面を大土塁で囲み、南東部は横矢の張り出しを設けて、主郭の南横を通る城道に対する防御を意識している。この主郭群から西の尾根と南西の尾根との2つの尾根に、U字状に遺構が広がっている。2つの尾根に多数の曲輪群が築かれ、一部は土塁の囲郭となっている。また尾根筋には城道が残り、一部は切通状になっている。ただ尾根筋の曲輪群は薮が多く、形状があまりはっきり確認できない部分も多い。整備されると、縄張りがかなりわかりやすくなるだろう。
腰曲輪の桝形虎口→IMG_3266.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.463125/136.625977/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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