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生田目城(栃木県益子町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN3212.JPG←主郭背後の空堀
(2020年2月訪城)
 生田目(なばため)城は、歴史不詳の城である。宇都宮氏の重臣益子氏の家臣に生田目氏がいることから、生田目氏の居城と推測されている。

 生田目城は、小貝川東岸に連なる丘陵地帯の一角にある。生田目集落背後の比高20m程の丘陵上に位置し、主郭・二ノ郭・三ノ郭と3つの曲輪で構成されているとされる。近くの畑にいたご老人に話を伺ったが、「あれは城じゃない、寺の跡だ。偉い学者さんが勝手に城だと言っているんだ!」と言っていた。ちょっと怪訝に思いながら、とりあえず丘陵北側にある登り口の場所を聞いて、登ってみた。明確に確認できる平場は2段で、西側の低い平場が三ノ郭らしく、先端に土壇があり、小さな東屋(お堂)と石碑がある。昔はここに正覚寺という寺があったらしい。郭内には井戸も残っているが、コンクリートの縦管になっていて、往時から残っているものかは不明。三ノ郭の東側に切岸があり、その先は自然地形に近い平場が広がっているが、草木が多く地形がよくわからない。もしかしたら段差で2段に分かれているかもしれないが、あったとしてもわずかな段差である。東端には土塁が築かれ、その背後には浅い空堀が穿たれている。わずかに横矢掛りのクランクもあり、切岸は甘いが明らかに城跡である。この土塁があるのが主郭なのだろう。この他、帯曲輪らしい平場もあるが、後世の改変の可能性もあって遺構かどうかはよくわからない。主郭の東は、きれいに薮払いされているが、自然地形のままである。
 生田目城は、遺構の規模・構造から考えると、戦国期以前の城だったように思われる。益子町の「ましこ世間遺産」にも選出されており、町でも城跡として認識している様なので、ご老人が城じゃないと否定していたのが不思議である。
三ノ郭先端の土壇→DSCN3191.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.446660/140.091230/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
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