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小漆川城(山形県大江町) [古城めぐり(山形)]

DSC06709.JPG←わずかに残る本丸土塁
 小漆川城は、1622年の最上氏改易後に庄内に入封した徳川譜代の酒井忠勝と共に、弟の直次が左沢に入封し左沢藩を立藩(12000石)して新たに築いた近世城郭である。当初は左沢楯山城に入ったが、新たに小漆川城を築いて居城とした。しかし酒井直次は1630年に嗣子なく他界したため左沢藩は改易となり、左沢は庄内藩に吸収され廃城となったという、極めて短命の城である。

 場所は、最上川の支流の月布川と市の沢川に挟まれて東に張り出した断崖上に位置している。三方を断崖に囲まれた要害の地で、西の地続きの台地上を百間掘と呼ばれる三ノ丸外堀で掘り切って分断していた。そして分断された台地先端部に堀で方形に囲まれた本丸とその脇に二の丸を配置し、さらにその周辺を三ノ丸が取り囲む構造になっていた。しかし現在では市街化で城の遺構はほとんど湮滅し、住宅地に中にわずかに土塁の跡をとどめるのみである。遺構からかつての縄張りを再現するのは困難である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.379429/140.204172/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 なおこの城に行った際、ちょっと不愉快なことがあった。住宅地の中を遺構を探してカメラを持ってうろついてたら、町内の人から不審者と間違えられたのである。それもそのはず、その日は会社を休んだ平日だったのである。しかも時間は間もなく小学校の下校時間ときた。いつも土日にしか城巡りをしないのと、山形城歩き3日目で疲れもあったのだろう、ちょっと油断しすぎてしまった。まぁ最近のご時勢を考えれば、そんな行動していたら不審者と疑われても仕方ない。カメラの写真を見せたらすぐに納得してもらえたが、そこにいた自治会長さんから「よそ者が町内に入るときは、事前に役所に届けろ」というきつい言葉を食らってしまった。(町をただ歩くのに届出って、そんな御無体な・・・。)皆さんも街中の城郭遺構を探し回るときは気をつけましょう。
タグ:近世崖端城
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ノリパ

わずかに残る土塁を見に行き、発見する。うれしいですね、尊敬します。
おっしゃる通り、住宅地になっているところ多いですね。カメラを持って
ウロウロすると確かに変に思われます。でも届出って、そんな御無体な、
って思ってしまいますね。
by ノリパ (2008-12-28 17:45) 

アテンザ23Z

城めぐりは宝探しに似ていると、あるとき気付きました。だれも書いていない遺構を見つけたときなどは、結構うれしいものです。
でも普通の人から見たら、薮や畑を見て喜んだりしているのですから、理解されないですよね・・・。
by アテンザ23Z (2008-12-29 22:55) 

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