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中条氏館(埼玉県熊谷市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00414.JPG←境内に残る空堀跡
 中条氏館は、鎌倉幕府で重きを成した御家人中条氏の居館である。中条氏の出自は、現地解説板や日本城郭大系では藤原氏となっているが、著名なHP「武家家伝」では武蔵七党横山党と記載されており、どちらが正しいのかご存知の方がいればご教示を請う。藤原氏出自の説によれば、藤原鎌足16世の裔、判官常光が1132年に武蔵国司に任じられて下向し、この地に館を築いて中条氏を称したのに始まると言う。常光の長子中条新五有家は、弟家資と共に源義朝に従って保元の乱で奮戦した。有家の長子藤次家長は、源頼朝に従って石橋山の合戦に奮戦し、その後の源平合戦でも活躍した。家長は文武両道に優れ、鎌倉幕府の評定衆となって御成敗式目の制定にも参画した。家長は1192年に、祖父常光の菩提を弔う為、居館内に常光院を建立した。その後の中条氏は、三河に所領を得て拠点を移し、その関係から三河守護の足利氏と繋がりができ、足利尊氏に従って活躍し、室町幕府でも将軍直属の奉公衆として将軍に近侍したようである。
 家長の建立した常光院は現在も残っていて、境内とその周辺が中条氏の居館跡となっている。寺の門前には水堀が残り、境内南西部にも土塁や空堀跡が明瞭に残っている。常光院の境内は往時の居館の1/3程度の面積に過ぎず、その東西にも大きく館跡が広がっていたらしいが、現在では耕地化により遺構は湮滅している。そういうわけで大半の遺構が失われてしまっているので、もう少し往時の遺構が残っていればと惜しまれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.182589/139.407148/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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ノリパ

記事の更新ペースが上がってますね。落ち着かれたんですね。
by ノリパ (2009-10-22 17:28) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
いえ、勉強ばかりしてたら気がおかしくなりそうで・・・。
息抜きのつもりでブログアップしてたら、
段々勉強そっちのけになってきてしまいました。
ピンチです!!
by アテンザ23Z (2009-10-22 18:20) 

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