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勝沼城(東京都青梅市) [古城めぐり(東京)]

DSC08186.JPG←横矢の掛かった横堀と土橋
 勝沼城は、師岡城とも呼ばれ、築城年代や築城者は不明であるが、武蔵西部の豪族で平将門の裔を称した三田氏の本城であった。三田氏は、室町時代には関東管領山内上杉氏の重臣として活躍したが、小田原北条氏の勢力が武蔵を席巻すると、一旦北条氏に降った後、上杉謙信方に付いて、北条氏に頑強に抵抗した。そして北条氏の圧迫を受けて、勝沼城を捨ててより要害性の高い辛垣城を築いて居城を移したと言う。しかし1563年、滝山城主北条氏照の攻撃によって辛垣城は落城し、三田氏は滅亡した。三田氏滅亡後、勝沼城は北条氏の支城となり、氏照の家臣師岡山城守将景が入って、城の修築を行い師岡城とも呼ばれるようになった。1590年の小田原の役で、八王子城落城と共に廃城となった。

 勝沼城は光明寺背後の城山に築かれており、その地勢は山と言うよりなだらかな丘陵地で、比高もわずか20m程に過ぎない。しかしその縄張は防御が厳重で、主要な三つの曲輪(本丸・二ノ丸・三ノ丸)のほぼ全周を横堀・土塁で防御している。また随所に横矢を掛けて堀底への射撃を可能にしているところは、北条氏時代の修築によるものであろう。三ノ丸は残念ながら妙光院の墓地となっていて改変を受けており、横堀も一部埋め立てられてしまっているが、それ以外の遺構はほぼ完存する、都内では有数の城跡である。貴重な遺構をこれ以上の破壊をしないよう、切に願うものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.795451/139.274379/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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