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石井営所、及び将門関連史跡 その1(茨城県坂東市) [その他の史跡巡り]

DSC03168.JPG←総合文化ホール前の将門像
 江戸城に行った折、将門の首塚を拝したので、かねて考えていた将門の本拠地岩井付近の関連史跡を初めて訪問した。将門の事跡については、Wikipedia等に詳しく、また私が知っている将門像は往年の大河ドラマ「風と雲と虹と」のもので虚実入り混じっているので、ここでは記載しない。

<石井営所>
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 石井営所は、坂東八ヶ国を席巻した将門が、本営を置いた場所とされている。辺り一帯の台地は島広山とも呼ばれている。現在では遺構らしい遺構を見ることはできず、石碑が建っているだけに過ぎないが、周辺には国王神社など将門にまつわる史跡が多数残る。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.060115/139.890622/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<石井の井戸>
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 将門が居館の地を探し求めて島広の野を駆け巡るうちに喉が渇いて水が欲しくなった。その時、どこからか老翁が現われ、翁はその大石を軽々と持ち上げて大地に投げつけると、そこから清らかな水が湧き出し、将門と従兵たちは喉を潤すことができた。将門らが不思議に思っているうちに翁は姿を消したと伝えられ、その井戸であると言う。現在は水田の中に石碑が残るのみ。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.058727/139.890901/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<九重の桜>
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 九重とは、王宮を指すと言う。この地の桜は、京の紫宸殿前の桜を枝分けし、将門所縁の地に植えたものと言う。現在は水田の中に桜と石碑が残る。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.055535/139.890558/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<富士見の馬場>
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 将門が、軍馬の調練をした馬場と伝わり、この地から霊峰富士の雄姿が眺められたことからこの名が付いたとされる。現在は、住宅地を走る県道脇に石碑が残るのみ。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.053800/139.884313/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<深井不動尊(妻子受難地)>
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 深井不動尊の地は、平将門の妻子が惨殺された悲劇の場所だと考えられている。叔父平良兼との小飼の渡の合戦に敗れた将門は、妻子と別々に身を潜めたが、良兼方に発見されて、芦津江のほとりで殺された。その場所であるとされる。現在は西仁連川の脇に、小さな不動尊があるだけである。また現地には、妻子受難の解説はない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.112033/139.895450/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


※その後の将門関係史跡巡りはこちらこちら
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