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志茂の手楯(山形県最上町) [古城めぐり(山形)]

DSC03076.JPG←主郭背後の大空堀
(2010年12月訪城)
 志茂の手楯は、最上地方を領した小国城主細川氏の支城である。1580年に最上義光に滅ぼされた細川摂津守直元の弟帯刀直茂の居城とされている。築城時期は不明であるが、その遺構から考えて、最終的な形は戦国後期に形成されたと考えられる。細川氏が最上義光に滅ぼされると、志茂の手楯主も不在となり、その後の歴史は不明である。

 志茂の手楯は、小国城の西北西約5kmの位置の比高80m程の山上に築かれた城で、その造りは豪壮で、大規模な二重空堀で東西の曲輪を分断した基本構造となっている。この空堀は深さ15m程もあり、山形県内では高楯城の白土平空堀の規模に匹敵する巨大なものである。この巨大な二重空堀によって東西の曲輪は完全に隔絶され、完全な一城別郭構造となっている。これ程見事な一城別郭の縄張りはあまり見たことがない。東郭は高さ5m程の大土塁で背後を防御しており、その構造から見てこちらが主郭と考えられる。主郭の北には前述の空堀を含めて二重の大空堀があり、更に東に続く尾根筋に数本の堀切がある。これらの堀切は普通の規模である。主郭の南側には幾つかの腰曲輪が付随している。一方、ニノ郭と思われる西郭にも腰曲輪が取り巻いているが、こちらには北側斜面に竪堀が等間隔に配置されている。「竪堀」と書いたが、実際には坂虎口状の切れ込みの様な感じである。また畝状竪堀とは異なり、約7~8mスパンで等間隔に配置される珍しい構造である。その用途や効果がちょっとよくわからない。いずれにしても、本城の小国城の縄張りと全然共通性がないというのも面白い。日本城郭大系に、「この地方にはあまり類例のない空堀」と記載される通りの見事な遺構である。
腰曲輪の竪堀群→DSC03048.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.776202/140.473841/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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