鈴木氏館(静岡県沼津市) [古城めぐり(静岡)]
←堀跡のような水路
鈴木氏館は、小田原北条氏の家臣で伊豆水軍の将の一人であった鈴木氏の居館である。鈴木氏は、紀州熊野水軍の末裔で、その由来は鈴木繁伴館の項に記載する。江梨の他4ヶ村を支配した鈴木氏は、西伊豆水軍の将の一人として活躍したらしい。詳細な事績は、手元に文献がなく不明であるが、元亀・天正年間(1570~92年)には鈴木丹後守繁定が当主で、北条氏政から駿河湾沿岸警備などについて頻々と司令を受けていたことが、江梨鈴木家文書に残っている。
鈴木氏館は、江梨集落の一番奥にある海蔵寺の地にあったと言われている。遺構は残っていないが、海蔵寺の脇には水路が流れており、堀の名残かも知れない。尚、この水路の河口部が船溜りとなって、水軍停泊地になっていたと推測されている。海蔵寺の隣にある航浦禅院は、文安年間(1444~49年)に鈴木繁用が、その父繁郷の追福の為に創立したと伝えられ、鈴木氏の菩提寺となっている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.017441/138.808275/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
鈴木氏館は、小田原北条氏の家臣で伊豆水軍の将の一人であった鈴木氏の居館である。鈴木氏は、紀州熊野水軍の末裔で、その由来は鈴木繁伴館の項に記載する。江梨の他4ヶ村を支配した鈴木氏は、西伊豆水軍の将の一人として活躍したらしい。詳細な事績は、手元に文献がなく不明であるが、元亀・天正年間(1570~92年)には鈴木丹後守繁定が当主で、北条氏政から駿河湾沿岸警備などについて頻々と司令を受けていたことが、江梨鈴木家文書に残っている。
鈴木氏館は、江梨集落の一番奥にある海蔵寺の地にあったと言われている。遺構は残っていないが、海蔵寺の脇には水路が流れており、堀の名残かも知れない。尚、この水路の河口部が船溜りとなって、水軍停泊地になっていたと推測されている。海蔵寺の隣にある航浦禅院は、文安年間(1444~49年)に鈴木繁用が、その父繁郷の追福の為に創立したと伝えられ、鈴木氏の菩提寺となっている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.017441/138.808275/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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