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朝比奈城(静岡県藤枝市) [古城めぐり(静岡)]

DSC02186.JPG←「松山遺構」の土塁と堀切
 朝比奈城は、今川氏の重臣朝比奈氏の一族が築いた城である。朝比奈氏は、鎌倉時代後期の1284年に朝比奈郷の地頭となって入部し、以後朝比奈氏を称して、当地がその本領となった。南北朝時代に入ると、駿河に入部した北朝方の今川氏に、岡部氏と共に早い時期から帰属した為、一族の多くが重職に抜擢され、特に駿府と掛川に移った2系統が「両朝比奈」と呼ばれる大身となった。一方、当地には「孫左衛門」系統と呼ばれる一族が残り、朝比奈又八郎義周や朝比奈孫左衛門尉泰元の名が伝わっている。泰元は、武田信玄の駿河侵攻の際、いち早く武田氏に従属して本領を安堵された。一方、朝比奈城に関する明確な歴史は不明であるが、おそらく平地の居館に対する詰城として、入部当初より築かれたものと推測される。

 朝比奈城は、殿集落背後の比高110~120mの山上に築かれた山城である。大きく二つの遺構群から成り、東側に張り出した細尾根上の「殿山遺構」とその西側の10m程高所にある「松山遺構」が存在する。南麓の萬年寺から伸びるハイキングコースを登ると最初に現れるのが「松山遺構」で、ただ単に広く平坦な曲輪が広がっているだけであり、北側の基部に土塁と堀切が築かれているだけの単郭の縄張りである。そこから尾根を北に150m程進み、東に派生する尾根筋を降って行くと「殿山遺構」に到達する。「殿山遺構」は「松山遺構」よりもしっかりと普請された城郭遺構で、細尾根を3本の小堀切で分断し、その先に数段の曲輪群からなる主城部を築いている。主郭の周囲にと前面に数段の腰曲輪を廻らし、南側の虎口から降った所にも小郭を置き、主郭背後にもニノ郭と思われる細長い曲輪を置いた、小規模で簡素な砦である。この他、殿山遺構の基部の西尾根にも小堀切と段曲輪状の平場が確認できる。いずれにしても単純連郭式で古い形態であり、鎌倉時代からそれほど改修を受けていない城の様である。

 尚、朝比奈城の東麓には、朝比奈家の居宅があり、朝比奈氏の屋敷跡であると言う。その地名も「殿」と言うことからも、当地の中心的存在であったことが伺われる。
「殿山遺構」の堀切と土橋→DSC02221.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.954408/138.255419/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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